日比野克彦(読み)ひびのかつひこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日比野克彦」の意味・わかりやすい解説

日比野克彦
ひびのかつひこ
(1958― )

美術家。岐阜市生まれ。1982年(昭和57)東京芸術大学美術学部デザイン科卒業、1984年同大学院デザイン専攻修了。大学では福田繁雄(1932―2009)らにデザインを学ぶ。在学中の1982年に『PRESENT AIRPLANE』ほかで第3回日本グラフィック展大賞を受賞する。「WORLD CUP」といった文字を装飾図として書き込んだ段ボール紙を使った厚みのあるグラフィック作品で一躍時の人となる。翌1983年には『SHINJUKU SPECIAL』で第1回日本イラストレーション展グランプリを受賞し、段ボールで靴を造形した『SHOE』をメインビジュアルに使った洋装店「GARO」のポスターで第30回ADC賞最高賞を受賞する。1986年にはディレクター、ニック・ウォーターローNick Waterlow(1941―2009)の招聘シドニービエンナーレに『舞台美術の舞台』を出品する。1993年(平成5)には「検証展覧会」(有楽町アートフォーラム、東京)を開催(翌年巡回)し、バブル経済期の日本を体現する表現者として1980~1990年代を駆け抜け、国内外で展覧会、パフォーマンス、ワークショップ、パブリック・アート、舞台美術、空間、プロダクト、グラフィック、出版、テレビ、ラジオ、広告、審査員・講師など多岐にわたる分野で日本屈指の造形作家にしてコミュニケーターとして活躍を続けた。

 1995年のベネチア・ビエンナーレには、顔が描かれていない赤ん坊『AURO』、教育を題材に描かれた朝礼台『SUSA』、権力を示す椅子(いす)が逆さに描かれた『BEMOUTH』など、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起き安全神話が崩壊した日本社会の雰囲気をテーマに表現した作品を出品する。1996年からは東京芸術大学美術学部先端芸術表現科の研究室のプロジェクトとして「TEST」シリーズをはじめ、他者とのコミュニケーションによる表現活動の比重を増す。1999年からはワークショップ「日比野ホスピタル」をスタートさせ、茨城県守谷(もりや)市のアーカススタジオを中心に精力的に展開する。

 2001~2002年(平成13~14)には20年間の造形作品を一堂に集めた大回顧展「HIBINO DATA ON OUR TIMES ある時代の資料としての作品たち」展(いわき市立美術館ほか国内5会場)を開催し、あわせて会場ごとに個別のテーマでワークショップを実施した。とくに東京会場(目黒区美術館)では「初めて橋の上で立ち止まったのは何処(どこ)ですか?」を連続開催し、さらに「橋」をテーマにしたワークショップや制作を各地で同時多発的に行うことで、ばらばらに開催されて消えていくワークショップの活動をつなぎ合わせる試みを行う。2003年からは「明後日(あさって)新聞社」と「一昨日(おととい)テレビ」と命名された仮想フレームを導入することで、個別のワークショップを大きな一つの表現形態として構造化し、確立した表現とするための研究(ワーク)を始めた。さらに同年アルタミラ洞窟やラスコー洞窟を訪れ、そこで洞窟画に触れた体験から「描くことの意味」の考察も始めるなど、アーティストとしてコミュニケーターとして「表現」と「表現すること」の新しいフレームとフィールドの獲得を試みる。1995年より東京芸術大学美術学部デザイン科助教授、1999年より同学部先端芸術表現科助教授。2007年より美術学部教授。

[森 司]

『『日比野克彦作品集』(1993・小学館)』『『HIBINO LINE』(1998・二玄社)』『「HIBINO DATA ON OUR TIMES ある時代の資料としての作品たち」(カタログ。2001・毎日新聞社)』『『Hibino : A collection of the works of Katsuhiko Hibino』新装版(2002・朝日出版社)』『日比野克彦著、竹内裕二写真『Katsuhiko Hibino :yesterday today tomorrow』(2006・リトルモア)』『日比野克彦アートディレクション著『FUNE――日比野克彦プロジェクト「アジア代表日本」』(2006・西日本新聞社)』

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百科事典マイペディア 「日比野克彦」の意味・わかりやすい解説

日比野克彦【ひびのかつひこ】

画家,イラストレーター。岐阜市生れ。東京芸大大学院修了。1980年代前半,段ボールを素材にした作品でデビュー。美術とイラストレーションの境界を打ち破る作家として一躍スター的存在となる。1982年日本グラフィック展大賞,1983年JACA展グラン・プリを受賞。エネルギッシュな描線と,段ボールの素材感を前面に押し出したグラフィティ感覚のポップな表現は,後に続く若い才能に絶大な影響を与えた。絵画・オブジェ作品だけでなく《J-TRIP BAR》(1985年)などの内装,野田秀樹の《野田版国性爺合戦》(1989年)などの舞台美術,ビル壁面のペインティングを手がける。1990年代に入ってからは自省的でシンボリックな作品を発表しつづけている。

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