日置氏イッチョ墓(読み)へきしいつちよはか

日本歴史地名大系 「日置氏イッチョ墓」の解説

日置氏イッチョ墓
へきしいつちよはか

[現在地名]菊水町瀬川 鶯原

標高六〇メートル前後の鶯原うぐいすばる台地北東端に位置し、北西には江田船山えたふなやま古墳塚坊主つかぼうず古墳・虚空蔵塚こくぞうづか古墳などが点在する清原せいばる台地が連なり、その西端部を南に菊池川が流れる。古代豪族日置氏の墳墓。墳墓の発見地点には文政八年(一八二五)玉名郡代の命を受けて小森田義広が建立した石碑が建つ。火葬墓に伴った銅板墓誌が寛政六年(一七九四)二月に発見され、再び出土地点に埋戻されていたが、明治一五年(一八八二)七月に盗掘され、その後所在不明となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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