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日葉酢媛命 ひばすひめのみこと

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

日葉酢媛命 ひばすひめのみこと

記・紀にみえる垂仁(すいにん)天皇の皇后。
丹波道主(たんばのみちぬしの)命の長女。「日本書紀」によれば,垂仁天皇15年皇后となり,大足彦尊(おおたらしひこのみこと)(景行天皇)ら3男2女を生む。32年死去。その葬儀に際し,天皇は野見宿禰(のみのすくね)の進言で殉死の風習を禁じ,陵墓に土製の人馬などをうめさせた。これが埴輪の起源という。「古事記」では氷羽州比売命。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

日葉酢媛命

『古事記』『日本書紀』によれば,垂仁天皇の皇后。丹波道主(たにはのちぬしとも)王の長女。垂仁天皇皇后の狭穂姫の進言によって召し入れられ,狭穂姫の死後,皇后となる。景行天皇の生母。『日本書紀』垂仁32年の薨去記事によれば,天皇が媛の葬儀に際して殉死の風習に心を痛め,他の方法を群臣に問うたところ,野見宿禰が出雲の土部100人と共に土で人馬などを造り,生きた人間に代えてそれらを埋めるように申し上げた。天皇はこれを喜び,それを墓に立て埴輪と名付け,これ以後葬儀には必ず埴輪を使い,人を殉死させてはならないと詔したという。『古事記』では,この大后のとき,石祝作(石棺や石室を作る部)と土師部(土器製作や葬礼を担当する部)を定めたとする。陵墓に関連の深い皇后であったらしい。埋葬地は,狭木の寺間の陵(奈良市山陵町御陵前か)と伝えられる。

(寺田恵子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ひばすひめのみこと【日葉酢媛命】

垂仁天皇の皇后とされる人物。比婆須比売命とも記す。《日本書紀》によれば垂仁15年2月宮中に召された丹波道主王の女5人の第一で,同15年8月に立后,景行天皇らを生んだという。同32年7月条の没時の記事には,野見宿禰(のみのすくね)の進言により殉死の慣習をやめ,かわりに埴輪(はにわ)を立てたという起源説話が伝えられる。《古事記》垂仁記の末には,この大后のときに石祝作と土師部を定め,狭木之寺間陵に葬したことを特記している。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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