日野 啓三(読み)ヒノ ケイゾウ

20世紀日本人名事典 「日野 啓三」の解説

日野 啓三
ヒノ ケイゾウ

昭和・平成期の小説家,評論家



生年
昭和4(1929)年6月14日

没年
平成14(2002)年10月14日

出生地
東京都渋谷区

学歴〔年〕
東京大学文学部社会学科〔昭和27年〕卒

主な受賞名〔年〕
平林たい子文学賞(小説・第2回)〔昭和49年〕「此岸の家」,芥川賞(第72回)〔昭和50年〕「あの夕陽」,泉鏡花文学賞(第10回)〔昭和57年〕「抱擁」,谷崎潤一郎賞(第22回)〔昭和61年〕「砂丘が動くように」,芸術選奨文部大臣賞〔昭和61年〕「夢の島」,伊藤整文学賞(第3回)〔平成4年〕「断崖の年」,野間文芸賞(第46回)〔平成5年〕「台風の眼」,読売文学賞(小説賞 第47回)〔平成8年〕「光」,日本芸術院賞(平11年度)〔平成12年〕

経歴
幼少期を朝鮮で過ごし、京城で終戦を迎える。東大在学中に、大岡信らと「現代文学」を、吉本隆明らと「現代評論」を出す。昭和27年読売新聞社に入社、ソウル・サイゴンなどで特派員を務めた。この時の取材体験に、自らの引揚げ、焼け跡体験を重ねて、41年「ベトナム報道」を刊行。42年評論集「存在の芸術」「幻視の文学」を刊行。43年にはその集大成といえる、評論集「虚点の思想」を刊行した。このころ小説に転じ、50年に自らの体験をベースとした「あの夕陽」で芥川賞を受賞。以後、「抱擁」(泉鏡花賞受賞)、「夢の島」(芸術選奨文部大臣賞)、「砂丘が動くように」(谷崎潤一郎賞)などを次々と発表。平成2年には腎臓がんを手術、その体験を綴った「断崖の年」で伊藤整文学賞を受賞した。他に「此岸の家」(平林たい子賞)「台風の眼」(野間文芸賞)「光」(読売文学賞)「落葉 神の小さな庭で」などがある。平成12年日本芸術院会員。芥川賞選考委員もつとめた。他に「名づけられぬものの岸辺にて 日野啓三主要全評論」(出帆新社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「日野 啓三」の解説

日野 啓三 (ひの けいぞう)

生年月日:1929年6月14日
昭和時代;平成時代の小説家;評論家
2002年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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