改訂新版 世界大百科事典 「日鉄機関方ストライキ」の意味・わかりやすい解説
日鉄機関方ストライキ (にってつきかんかたストライキ)
1898年2月末~3月末に日本鉄道会社(当時における最大の鉄道会社)の機関方・火夫によって行われた争議。〈我が労働社会にて職工の努力を資本家に示したる嚆矢(こうし)〉(横山源之助)として知られ,なによりも注目されることは,賃金増額要求と並んで身分昇格・職名改称など〈地位向上〉の要求が掲げられていたことである。労働者が〈下層社会〉の一員として差別されていた明治期日本の労働運動の特質がここに示されている。機関方や火夫がストライキにたち上がった背景としては,(1)鉄道業が日本に移植されてからしばらくの間,機関方は一般労働者に比べ著しく高い賃金を得ていたにもかかわらず,その企業内での地位は一般労働者並みであったこと,(2)1880年代末期(明治20年代初頭)以後とりわけ日清戦争以後,賃金面でのこの圧倒的優位性がしだいに失われてきたこと,があげられる。争議が勝利した後,日鉄では矯正会という名の労働組合が結成され,修養団体的活動を行うとともに,会社側の巻返しを阻止して争議の成果を維持する役割を果たしていたが,1901年末に前年制定の治安警察法を用いた官憲と会社による圧迫によって解散を余儀なくされた。
執筆者:青木 正久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報