日静(読み)にちじょう

改訂新版 世界大百科事典 「日静」の意味・わかりやすい解説

日静 (にちじょう)
生没年:1298-1369(永仁6-正平24・応安2)

南北朝時代の日蓮宗の僧。駿河国加島に生まれた。俗姓上杉氏,妙竜院と号する。駿河本覚寺日位について出家,のち摩訶一房日印に師事した。師日印は日朗(にちろう)没後鎌倉に本勝寺を建てたが,これを日静に付して越後に帰り,1328年(嘉暦3)その死に臨んで,さらに越後本成寺を付属した。そのころ,上洛弘通(ぐづう)していた日印の門下日祐に招かれて上洛した。45年(興国6・貞和1)本勝寺を京都六条に移して本国寺本圀(ほんこく)寺)と号し,足利尊氏との俗縁により公武の外護(げご)を得て盛んに法陣を張り繁栄を示した。その流れを六条門流という。69年(正平24・応安2)本成寺を日陣,本国寺を日伝に付して寂した。著作に《六条要文》《此経難持十三箇口決》などがある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日静」の解説

日静 にちじょう

1298-1369 鎌倉-南北朝時代の僧。
永仁(えいにん)6年生まれ。日蓮宗。六条門流の祖。駿河(するが)(静岡県)本覚寺の日位,鎌倉本勝寺の日印に師事。のち京都六条に本国寺(のちの本圀寺)をひらき,足利尊氏の帰依(きえ)をうけて同寺を発展させた。応安2=正平(しょうへい)24年6月27日死去。72歳。駿河出身。俗姓は上杉。号は妙竜院。著作に「六条要文」など。

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