日本歴史地名大系 「日面村」の解説 日面村ひよもむら 岐阜県:大野郡丹生川村日面村[現在地名]丹生川村日面平湯(ひらゆ)街道沿いに芦谷(あしだに)村の東に続く。小八賀(こはちが)川の北岸に位置し、村名のとおり日がよく当たる。集落から北東の谷間に飛騨大鍾乳洞がある。鍾乳洞近くの出羽が平(でわがだいら)は両面宿儺の出現伝説で知られる鍾乳洞窟で、入口はわずか二メートル四方、深さは広大である。仁徳天皇の時代この洞窟より出現した宿儺は蛮勇豪猛一体両面・四手四足で、同時に弓矢を用いることができたという。慶長一八年(一六一三)飛騨国郷帳に載る「出羽か谷村」八七石余は村域内にあたる。元禄検地反歩帳に村名がみえ、高八一石余、畑一〇町九反余。「飛騨国中案内」によれば免は四割三厘余、家数二八、うち百姓二五・寺一・門屋二。 日面村ひよもむら 愛知県:西加茂郡小原村日面村[現在地名]小原村日面矢作川の西岸にあり、標高四三三・七メートルの蚕霊(こだま)山の東に位置する。字御山(みやま)に温度一九・五度の硫黄泉が湧出する。寛永郷帳では岡崎藩領、天明六年(一七八六)旗本久世三四郎領で明治維新に至る。文化一三年(一八一六)の宗門人別帳(小原村誌)による戸口は二三戸・九七人、うち男四八・女四九である。明治九年(一八七六)の副業統計(小原村誌)では紙漉が一戸ある。「愛知県西加茂郡各村沿革調」によれば、特有物産は漆汁三〇斤である。また「用水不足シテ少シク旱損又ハ矢作川洪水ノ節溢テ水害アリ」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by