国指定史跡ガイド 「旧閑谷学校」の解説
きゅうしずたにがっこう【旧閑谷学校】
岡山県備前市閑谷にある学校跡。指定名称は「旧閑谷学校 附椿山(つけたりつばきやま) 石門(せきもん) 津田永忠宅跡(つだながただたくあと)および黄葉亭(こうようてい)」。旧閑谷学校があるこの地は、当初藩主池田家墓所造営の候補地の一つに選定されていたが、1666年(寛文6)にこの地を訪れた藩主池田光政(みつまさ)が気に入り、1668年(寛文8年)にはここに手習い所を設置、1670年(寛文10)には重臣津田永忠を学校奉行に任じ、本格的に学校建設にとりかかった。旧閑谷学校は、儒学に基づく庶民の教育をめざして創設され、その後綱政(つなまさ)の時代の度重なる改修や拡充の末に30年余をかけて完成した。山が迫った平坦な地に建ち、かまぼこ形の石塀で囲まれている。中心となる講堂をはじめ、小斎(しょうさい)、習芸斎、聖廟、大成殿、文庫、厨屋(くりや)、外門、石門など、いずれもすぐれた建造物である。聖廟の東に接して光政を祀る芳烈祠(ほうれつし)(閑谷神社)が建てられ、その東隣に光政の遺髪などを納めて霊地とした椿山がある。神社の近くにある黄葉亭は素朴な茶室である。また付近に、建設に際して学校奉行、その後経営にあたった津田永忠の住居跡がある。旧閑谷学校は庶民の教育を目的とした点に特色があり、当時のままの建物が多数残っており、江戸時代の学校施設として教育史上価値が高い。1922年(大正11)に国の史跡に指定された。1954(昭和29)に特別史跡に指定された。JR山陽本線吉永駅から車で約10分。