早川荘(読み)はやかわのしょう

百科事典マイペディアの解説

早川荘【はやかわのしょう】

相模国足下(あししも)郡(足柄下郡)にあった荘園。ほぼ現神奈川県小田原市の南半にあたる。1020年に相模守として赴任した大江公資によって,早川流域の山野早川牧が設定され,長暦年間(1037年−1040年)に藤原道長の子長家に寄進された。領家職は公資の子孫に相伝されたが,1115年以前から大江公仲の子仲子と有経との間で,その領有をめぐり相論となっている。この間の開発により荘園化し,酒匂(さかわ)川や(かり)川流域に荘域が広がった。鎌倉時代初期にも本家は摂関家に伝えられていたが,事実上鎌倉幕府の支配下にあった。1202年には下地が中分され,田地140町余については預所の支配が停止され,箱根権現(現箱根神社)に寄進された。預所は土肥実平の子遠平で,地頭を兼任していたらしい。その後遠平の子孫は小早川氏を名乗り勢力を伸ばした。室町時代にも鎌倉府の支配下にあり,一部は鎌倉の寺社領となっていた。荘内には風祭(かざまつり)郷・田子(たこ)郷一得名・長尾名・久富名などがあり,田子郷一得名には鎌倉時代を通じ山内首藤氏の屋敷があった。

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