日本歴史地名大系 「昆陽・昆陽野」の解説
昆陽・昆陽野
こや・こやの
現伊丹市中央西寄り一帯の地名。山陽道が通り、古代は昆陽池・陽野に陣取っている(「平家物語」巻九)。
南北朝動乱でもまず元弘三年(一三三三)三月一〇日、六波羅勢を迎え撃つため赤松則村方の軍勢三千余騎は小屋野の宿の西に控えていた(「太平記」巻八)。暦応二年(一三三九)六月日の貴志義氏軍忠状案(余田文書)によると、前年九月に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報