昆陽・昆陽野(読み)こや・こやの

日本歴史地名大系 「昆陽・昆陽野」の解説

昆陽・昆陽野
こや・こやの

現伊丹市中央西寄り一帯地名。山陽道が通り、古代は昆陽池・昆陽こんよう寺、中世には小屋こや庄が成立した。院政期には京と福原ふくはらを結ぶ交通の要衝であったことから平氏の勢力が強く、治承四年(一一八〇)福原遷都の際にも狭小な福原に代わって「小屋野」が宮都造営の候補地ともなっている(「玉葉」同年六月一五日条)。同年九月に源頼朝の反乱鎮圧に向かった平維盛以下の追討使は、福原を出立後小屋で一泊して入京している(同書同月二三日条)。寿永三年(一一八四)二月には一ノ谷合戦を控えた源範頼軍が陽野に陣取っている(「平家物語」巻九)

南北朝動乱でもまず元弘三年(一三三三)三月一〇日、六波羅勢を迎え撃つため赤松則村方の軍勢三千余騎は小屋野の宿の西に控えていた(「太平記」巻八)。暦応二年(一三三九)六月日の貴志義氏軍忠状案(余田文書)によると、前年九月に有馬ありま郡に向かった義氏は小屋宿に陣取って味方との合流を図っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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