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福原遷都 ふくはらせんと

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

福原遷都
ふくはらせんと

平安時代末期,平清盛による摂津国福原 (神戸市兵庫区) への一時的遷都平氏勢力の強化につれて後白河院政のもとに反平氏運動が盛上がり,治承1 (1177) 年の鹿ヶ谷事件でそれは表面化した。この情勢にあって,同3年清盛はクーデターを行い,院を幽閉。みずから軍事的独裁政治を始めた。しかし,このクーデターは特に比叡山延暦寺の衆徒を強く刺激。翌年源頼政以仁王 (もちひとおう) の令旨 (りょうじ) を諸国の源氏に伝えて決起,以仁王,頼政らは宇治川の戦いに敗れたが,その波紋は次第に広がり,同4年6月清盛は突如天皇,上皇を伴ってみずからの根拠地福原への遷都を強行した。遷都後,延暦寺の衆徒の蜂起,また平宗盛など一門の主張によって,同年 11月には新都未完成のまま再び京都に還都せざるをえなかった。この遷都,還都は平氏政権の威信を下げるものであった。

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百科事典マイペディアの解説

福原遷都【ふくはらせんと】

1180年6月平清盛が京都から摂津(せっつ)の福原(神戸市兵庫区・中央区付近)に都を移したこと。源頼政の挙兵などによる政情不安や寺院勢力の圧迫を避けるために行ったが,都城造営も進まぬうち11月再び京都に都を戻した。
→関連項目音戸ノ瀬戸兵庫[区]平安京

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