明了寺(読み)みようりようじ

日本歴史地名大系 「明了寺」の解説

明了寺
みようりようじ

[現在地名]岩見沢市七条東

利根別とねべつ墓地に隣接する小高い丘上にある。堅固山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。明治一八年(一八八五)岩見沢村はたけ一番地(現元町)に説教所を設立したのに始まる。創立当時布教師を招いて教義宣揚に努め、同二二年には開山住職藤波道船が赴任して寺門の拡張を図るとともに、檀徒の士族移住者山本直繁と毛利元尚、子孫の坂井辰忠が代表となり奔走、同二六年一八二名が新寺建立を出願、翌年許可された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む