明大寺村(読み)みようだいじむら

日本歴史地名大系 「明大寺村」の解説

明大寺村
みようだいじむら

[現在地名]岡崎市明大寺町・吹矢ふきや

おと川の矢作川への合流点に近い南岸台地上に位置し、西は久後くご村・六名むつな村、南は戸崎とざき村。古くは「妙大寺」と記した。上明大寺の辺りは古く高宮郷高宮村とも称した。大部分を占める丘陵地は近来住宅地化しているが、古墳時代後期の古墳数十基が確認されている。明応二年(一四九三)四月一二日付の妙大寺彦右衛門宛松平光重屋敷宛行状(大竹家文書、現在亡失)に「光林寺屋敷為替地、妙大寺本成就院之屋敷出置者也」とあるのが「妙大寺」の初見。また成就院縁起(成就院蔵)は、この地に伝わる浄瑠璃姫伝承にちなんで「義経公(中略)浄瑠璃御前追善ノ為伽藍ヲ御建立アリ、則妙大寺ト号セリ、其伽藍モ数度ノ烽燧ニ烏有トナリ、名ノミ郷名ニ残リテ明大寺ト云ヘリ」と伝える。昭和三〇年(一九五五)頃、竜海りゆうかい院南の三島山から中世骨壺が発掘されたことがある。また安心あんしん院の本尊十一面観音は、旧妙大寺の本尊とも伝えているので、妙大みようだい寺と称する寺院がかつて存在したものであろう。

平安中期より東海道は矢作川を西のわたり村の辺りから六名へ越え、明大寺を通って大平おおひらへ出た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報