日本歴史地名大系 「高宮村」の解説
高宮村
たかみやむら
鈴鹿川左岸の標高五〇メートル内外の台地上にあり、南には
高宮村
たかみやむら
高宮村
たかみやむら
高宮村
たかみやむら
中世当地には高宮を姓とする二系統の国人がいた。一系統の高宮氏は鎌倉時代の末に紀州櫟氏が地頭として高宮に入部したのに始まると伝え、初代宗忠以下、二代宗行・三代宗充・四代高義と続いたが、高義のとき六角氏頼の三男信高が将軍足利義持から勲功の賞として六万貫を与えられて当地に入ったため、しだいに力を失ったという。
高宮村
たかみやむら
高宮村
たかみやむら
現福光町高宮を遺称地とし、同所を含む
高宮村
たかみやむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報