高宮郷(読み)たかみやごう

日本歴史地名大系 「高宮郷」の解説

高宮郷
たかみやごう

和名抄刊本に「多加美也」と訓ずる。「扶桑略記」延暦一六年(七九七)二月条に「大和国葛上郡高宮郷」がみえ、「日本書紀」神功皇后摂政五年三月七日条に「桑原・佐糜・高宮・忍海、凡て四の邑」、仁徳天皇三〇年九月一一日条の皇后磐之媛の歌に

<資料は省略されています>

とある。また皇極天皇元年条に「蘇我大臣蝦夷、己が祖廟葛城の高宮に立て」、持統天皇六年一月二七日・二八日条に「天皇、高宮に幸す。


高宮郷
たかみやごう

[現在地名]岡崎市明大寺町

中世後期から近世にかけて明大寺村の一部を高宮郷と称したが、その始期は明らかではない。「三国聞書集」に、菅生郷のうちに高宮大明神の社があったが、元暦元年(一一八四)に兵火のため焼失して、それより名のみ残って高宮の里と称したとある。万徳まんとく寺が最初に明大寺にあった時、高宮山万弘寺と称する天台宗寺院であったとも伝えるが確証はない(万徳寺縁起)。現在のところ史料上の初見は、天文一二年(一五四三)三月の竜海院白山権現棟札(岡崎市史)で「大日本東海道三州額田郡高宮郷満珠山竜海禅院云々」とある。


高宮郷
たかみやごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「高宮」と記し、後者が「多加美也」と訓を付す。「芸藩通志」は「高宮の郷詳ならずといへど、必今の吉田辺なるべし、此村古き宮居もありて元和の比までは祇園八幡領村、光善寺村あり、八幡領は彼宮所領の地なりしと見ゆ」とする。「日本地理志料」は郡家の所在郷とし、吉田よしだ山部やまべ相合あいおう三村(現高田郡吉田町)をあてる。


高宮郷
たかみやごう

「和名抄」諸本ともに訓はない。現寝屋川市に高宮の地名がある。江戸時代の讃良郡高宮村の地で、式内社高宮神社が鎮座する。高宮郷はこの高宮を中心に小路しようじ(現寝屋川市)にわたる地域であろう。「日本地理志料」は木田きだ(現同市)をも含むとするが、木田村石井いわい郷の地にあてたい。


高宮郷
たかみやごう

「和名抄」東急本は「多加美也」の訓を付す。平城宮出土木簡に「鈴(鹿カ)郡 高宮郷□」とみえる。郷域は旧高宮村(現鈴鹿市加佐登町)を遺称地とする鈴鹿川中流左岸の丘陵を含む地域に比定される。


高宮郷
たかみやごう

「和名抄」は諸本とも訓を欠く。「近江国注進風土記」に「高宮郷、犬上」とみえ、「左京大夫顕輔卿集」「長秋詠藻」に高宮里・高宮郷として詠まれる歌枕の地でもある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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