デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「明遍」の解説 明遍 みょうへん 1142-1224 平安後期-鎌倉時代の僧。康治(こうじ)元年生まれ。藤原通憲(みちのり)の子。東大寺で三論をまなぶが,大和(奈良県)光明山に遁世。さらに高野山にはいり,蓮華三昧院をひらいて30年間山をおりなかった。法然に帰依(きえ)し,念仏を専修したともいう。空阿弥陀仏と号し,高野僧都,蓮華谷僧都とよばれた。貞応(じょうおう)3年6月16日死去。83歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の明遍の言及 【高野聖】より … このころの高野聖はいくつかの集団となって高野山内に住んだが,その中でとくに有名なのは蓮華谷聖,萱堂聖,千手院聖の三大聖集団である。蓮華谷聖は遁世と道心をもって知られ,明遍僧都(少納言信西の子)を偶像とした。萱堂聖は法灯国師(臨済宗法灯派の派祖,心地覚心)によって結ばれ,唱導説経を特色とした。… ※「明遍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by