春日部庄(読み)かすかべのしよう

日本歴史地名大系 「春日部庄」の解説

春日部庄
かすかべのしよう

成立の経緯については不明であるが、「和名抄」所載の古代春部かすかべ郷の系譜を引き、現春日町のほぼ全域に及ぶ広大な庄園である。宝治元年(一二四七)五月九日後嵯峨上皇が新日吉いまひえ(現京都市東山区)の小五月会に臨幸した際、御所の修理・敷設に「春日部庄役」が充てられており、鎌倉時代は同社領であったと考えられる(葉黄記)。南北朝期以降は室町幕府の御料所になり、建武二年(一三三五)一二月一二日、箱根竹の下合戦の軍功により足利尊氏は赤松貞範に当庄地頭職を与えた(嘉吉記・応仁記)。ただし翌三年九月一二日の足利尊氏御判御教書(岡山県立博物館蔵赤松春日部文書)によれば「荻野一族(等)、令違背度々下知、不寄付代官」とあり、赤松貞範の代官入部をめぐって現地の荻野氏の抵抗を受けている。貞治四年(一三六五)一一月赤松貞範が三和みわ白毫びやくごう(現市島町)に建てた宝篋印塔には、「春日部庄当郡領主播州赤松前筑前守沙弥世貞」とある(沙弥世貞は貞範)。ちなみに貞範は「春日部殿」とよばれ、この系統を春日部流赤松氏と称する。なお康応二年(一三九〇)二月二二日の春日部庄玉泉坊引檀那願文(熊野本宮大社文書)には、当庄の庄官・庄司のほか棚原たなばらなか村・黒井くろい等の地名を名乗る住人がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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