赤松貞村(読み)あかまつ・さだむら

朝日日本歴史人物事典 「赤松貞村」の解説

赤松貞村

没年:文安4(1447)
生年:明徳4(1393)
室町時代武将。赤松氏庶流春日部家の満貞の子。通称次郎。伊豆守。茶の湯の道に通じた文人で,将軍足利義教の寵を受けた。永享12(1440)年,赤松氏惣領満祐の弟義雅の所領が義教により召し上げられ,一部が貞村に与えられた。さらに満祐から守護職も取り上げられるのではないかと世上取りざたされ,恐怖にかられた満祐は翌年6月,自邸で義教を殺害(嘉吉の乱)。その場には貞村も居合わせたが逃走している。8月,満祐追討軍に加わって播磨に赴いたものの,目立った戦功はなかった。まもなくその地で没したという説もあるが「赤松諸家大系図」によれば没年は文安4(1447)年となっている。

(榎原雅治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤松貞村」の意味・わかりやすい解説

赤松貞村
あかまつさだむら

[生]明徳4(1393)
[没]文安4(1447)
室町時代の武将。満貞の子。容色美しく将軍足利義教に寵愛され,嘉吉の乱の直接の因となったといわれる人物。義教は赤松嫡流の所領を庶流である貞村に与え,かつ播磨守護職を脅かしたため赤松満祐に殺された。貞村は幕府軍として満祐討伐に加わり,播磨で死んだともいう。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤松貞村」の解説

赤松貞村 あかまつ-さだむら

1393-1447 室町時代の武将。
明徳4年生まれ。赤松貞範(さだのり)の曾孫。6代将軍足利義教(よしのり)に近習としてつかえ,寵(ちょう)をうける。嘉吉(かきつ)の乱で義教が赤松満祐(みつすけ)に殺されたとき,のがれて殉死せず嘲笑(ちょうしょう)され,満祐追討の戦いでも山名持豊(もちとよ)におくれをとった。茶人としてすぐれた。文安4年死去。55歳。

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