嘉吉記(読み)かきつき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「嘉吉記」の意味・わかりやすい解説

嘉吉記
かきつき

軍記。1巻。著者、著作年代ともに不詳。初めに主文として、嘉吉元年(1441)6月24日赤松満祐(あかまつみつすけ)が将軍足利義教(あしかがよしのり)を弑(しい)し、山名持豊(やまなもちとよ)らの軍勢に攻められて9月10日播磨(はりま)国守護所越部城(木)山(こしべきのやま)城(兵庫県たつの市)で自害したことを記す。次に則村(のりむら)以来の赤松氏の発展、満祐が義教に冷遇されたことなど事件の背景と概要、事件後播磨国内における赤松氏と新守護山名氏との攻防、そして赤松氏一族・家臣らが後南朝から神璽(しんじ)を奪還し、その功によって政則(まさのり)が幕府出仕を許されたことなどを編年体で叙述している。赤松氏に関する政治動向の概略をみるには便利である。なおたとえば後南朝から神璽を奪還した事件に関する好史料としては、文明(ぶんめい)10年(1478)8月の上月満吉・堀秀世連署条書(上月文書)がある。『新校群書類従』合戦部1所収。

[岸田裕之]

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改訂新版 世界大百科事典 「嘉吉記」の意味・わかりやすい解説

嘉吉記 (かきつき)

嘉吉の乱を中心とする赤松氏に関する記録。作者,成立年代ともに不明。南北朝時代の赤松氏一族の軍功語り,ついで赤松氏の没落と山名氏の繁栄対比により,嘉吉の乱の原因,経過,結末詳説。その後1444年(文安1)赤松満政の,55年(康正1)赤松則尚の赤松家再興の試みが失敗する様子や,58年(長禄2)一族の政則が家督継承を許される模様を記す。《群書類従》所収。
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