是松村(読み)これまつむら

日本歴史地名大系 「是松村」の解説

是松村
これまつむら

[現在地名]庄原市是松町

三上みかみ郡の中央部、西城さいじよう川と本村ほんむら川の間に広がる丘陵地帯に位置する。新庄しんじよう川の源流域にあたり、耕地新庄川の両側と、周辺部の丘陵地の谷間に分布する。北は新庄村と、西は板橋いたばし村と接し、出雲路が南の春田しゆんだ村から入り新庄村へ抜ける。村域中心部の丘陵に宮の上みやのかみ古墳群・上河内かみごうち古墳(方形墳)天神風呂てんじんぶろ古墳などがある。中世には信敷しのお庄の西部に位置した。

江戸時代には広島藩領で家老三原浅野家給地。「芸藩通志」に「山は東南を引廻し、又西北にもあれど、皆低山にて土地晴やかなり、二川あり細流なり」とあるように日照には恵まれるが、深い山がないため河川らしきものがなく、水利はもっぱら溜池に依存した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む