景徳院(読み)けいとくいん

日本歴史地名大系 「景徳院」の解説

景徳院
けいとくいん

[現在地名]大和村田野

初鹿野はじかのから日川ひかわ渓谷に沿って約二キロ上流にある。天童山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。地名から田野たの寺ともよばれた(「甲斐国志」など)。天正一〇年(一五八二)三月、武田勝頼主従は頼りとしていた小山田信茂の謀反を聞き、天目てんもく山へ敗走する途中、田野の地で織田方の挟撃を受け滅亡した(「信長公記」「塩山向嶽禅菴小年代記」など)。同年七月徳川家康が入国の際、滅亡した勝頼主従の菩提を弔うため新寺建立を命じ、田野郷一円を寺領として寄進した(五月三日「尾畑景憲書状」景徳院文書、「甲斐国志」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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