天目形(てんもくなり)の碗および黒釉のかかった陶磁器の総称。鎌倉時代に中国の浙江省にある天目山の禅院に学んだ僧侶たちが,帰国にあたって持ち帰った黒釉のかかった喫茶用の碗を天目と呼んだのに始まるという。後世この碗形のものを釉調にかかわりなく天目茶碗,天目形と呼び,また黒釉のかかったものを器形に関係なく天目,黒釉を天目釉などと呼んでいる。黒釉のかかった天目は中国,朝鮮,日本,タイ,カンボジアなど東アジア各地で盛んに作られた。天目釉の先駆的なものとしての灰釉陶は,中国西周時代(前11~前8世紀)に出現しており,本格的な天目釉の最も早い遺例は江蘇省鎮江の後漢,永元13年(101)紀年墓出土の黒釉小瓶が知られる。晋時代(3~5世紀)の越州窯では漆黒の黒釉がかなり用いられ,唐代(7~9世紀)には華北でも行われ,宋代(10~13世紀)には華北・華南の各地に天目を焼く多くの窯が興された。福建省建窯の建盞(けんさん)はその代表的なもので,日本で珍重される油滴天目,曜変天目,禾目(のぎめ)天目などを焼き,江西省の吉州窯では,黒釉とわら灰釉を二重がけした玳皮盞(たいひさん)や木の葉を釉化して焼きつけた木葉天目などが作られている。また華北一帯の磁州窯系の窯では,広く河南天目と呼ぶ黒釉のかかった碗,盤,瓶,壺などが作られ,河北省の定窯では黒定,紅定と呼ぶ天目釉のかかった碗,瓶,壺などが焼造された。とくに建盞は喫茶用の碗として機能的に作られているのが注目される。建盞は黒褐色の胎土に鉄分の多い黒釉をかけて焼成しているが,黒釉は流下しやすく,そのため口縁部や腰に天目独特の段や削りべらをめぐらして釉流れを調節し,口縁部には釉はげを補う覆輪が施されている。また焼成時には黒釉が一方に流れ,釉だまりができるよう傾斜面を作って焼成し,そのため内側見込みの釉だまりはわずかに傾斜面を見せている。また朝鮮半島でも高麗時代に黒高麗と呼ぶ黒釉の碗や瓶が作られ,日本でも鎌倉時代に瀬戸で黒褐釉が用いられ,建盞や玳皮盞にならった瀬戸天目や美濃天目が作られた。
執筆者:河原 正彦
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…唐末五代のころから越州窯風の青磁や定窯風の白磁,黒磁を焼造した。宋代には磁州窯風な白地黒花文の精緻な作品なども知られ,また抹茶法による喫茶の流行に伴い,天目茶碗も焼造された。天目では日本で玳玻盞(たいひさん),鼈盞(べつさん)と呼ぶ黒釉の上に失透釉を掛け鼈甲状の釉調のものが名高く,また剪紙(せんし)(切紙)の文様を黒釉上に貼り,失透釉を掛けて焼造した梅花天目,竜天目,鸞(らん)天目,文字天目なども珍重された。…
…中国,福建省建陽県水吉鎮にあった陶窯。宋代に喫茶用の茶碗(天目)を量産した窯として名高い。窯址は1935年ミシガン大学のプラマーJ.M.Plumerが初めて調査し,戦後は中国の研究者による調査が再三行われている。…
…こうした高級な器は貴族や武家,豪族,寺院などでおもに使われていたらしく,中世の城館趾や代表的な港からは数多くの碗類が出土している。 喫茶の茶碗としては,喫茶の習慣が日本に伝わって以来,室町時代後期までは青磁,白磁,天目(てんもく)など,やはり中国から請来された陶磁器,すなわち唐物(からもの)茶碗が用いられていた。足利将軍家を中心とする茶の湯の世界では,こうした唐物茶碗を当時の美意識によって位付けし,《君台観左右帳記(くんだいかんそうちようき)》に記している。…
※「天目」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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