 (進)(しん)。〔広韻〕に「日の光
(進)(しん)。〔広韻〕に「日の光 むなり」とあり、宋の王安石〔平甫の舟中、九華山を望むに和す、二首、一〕の詩に「峩然(がぜん)たり九女の鬟(くわん)(まげ)爭うて出だす、一
むなり」とあり、宋の王安石〔平甫の舟中、九華山を望むに和す、二首、一〕の詩に「峩然(がぜん)たり九女の鬟(くわん)(まげ)爭うて出だす、一 匳(きやうれん) 臥して
匳(きやうれん) 臥して る、秋
る、秋 の沒するを
の沒するを  きて看る、
きて看る、 陽の暹(すす)むを」のような用例がある。
陽の暹(すす)むを」のような用例がある。出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…メナム(チャオプラヤー)川支流のヨム川流域の都邑スコータイとシーサッチャナーライを中心に,13世紀から15世紀まで栄えた。中国史料の〈暹(せん)〉がこれに比定されている。もとカンボジアのアンコール朝の支配下でクメール人大守が統治していた。…
…現存する最古のタイ語碑文である〈ラーマカムヘン王碑文〉(1292)の記載によると,彼は若くしてすでに武勇の誉れ高く,王となっては各地に遠征を行い,その版図を北はラオスのルアンプラバン,ビエンチャンから,南はマレー半島のリゴール(ナコーンシータマラート),西はインド洋岸にまで広げた。《元史》によると,1292,93年以降ラーマカムヘン治下のスコータイは〈暹(せん)〉の名で中国に入貢している。同じ碑文によると,国内においては臣下はみなあつく仏教を信奉し,温情的な王の支配の下,公正な裁判が行われ,人々は〈水に魚あり,田に稲ある〉豊かな生活を送ったという。…
※「暹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...