霧島町(読み)きりしまちよう

日本歴史地名大系 「霧島町」の解説

霧島町
きりしまちよう

面積:八二・五五平方キロ

姶良郡北東部にあり、東は曾於そお財部たからべ町・宮崎県都城市、北は高千穂たかちほ峰・御鉢おはちなか岳・新燃しんもえ岳・韓国からくに岳と並ぶ霧島連山を隔てて同県小林市、西は大浪おおなみ池を隔てて牧園まきぞの町、南は国分市と接している。新燃岳を源流とする霧島川は南流して霧島盆地を形成し、狭名田さなだ(襲川)鍋窪なべくぼを源流とするかり川などの支流を合せながら南西流して豊後迫ぶんごさこ向田むこうだを通り、隼人はやと町の小鹿野こしかの滝を経て、同町松永まつなが天降あもり川に合流している。地勢は北に霧島火山群が高く連なり、南半は標高二〇〇―三〇〇メートルの堆積したシラス層で、北東部が高く、南西部に向かって低くなっている。谷間は緩やかなV字谷で平坦地は少なく、したがって耕地は狭少で、田口たぐち大窪おおくぼの豊後迫地区に水田があるだけで、ほかは谷田である。南部永水の入水ながみずのいりみず牧内まきうち地区の丘陵地帯に畑作がみられる。町を南西から北東へ縦断する主要地方道国分―霧島線は国分市から霧島神宮に至る。霧島神宮南方を東から北西へ国道二二三号が通り、永池ながいけで同道から北へ霧島公園小林線が分れて北上、高千穂河原で西へ折れて霧島道路となり北西へ通る。南部の永水・大窪をJR日豊本線が縦断し、霧島神宮駅が設けられている。

考古遺跡は中央部の霧島川やその支流域、南部の台地上に立地している。南西部の永水のほうさき遺跡では縄文時代早期の土器などが出土し、このうち早期の円筒形土器は今までに出土例のない資料とされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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