曾根崎村
そねさきむら
[現在地名]北区曾根崎一―二丁目・曾根崎新地一丁目・梅田一―三丁目
西成郡に属する。川崎村・北野村の西にあり、南は大坂三郷天満郷。当地は難波の砂洲で行われた八十島祭の旧跡地と伝え、地名の由来は住吉須牟地曾根神社がこれに預かったことによるといわれる。同社は摂津式内社須牟地曾禰神社にあたるとされるが、現東住吉区を所在地とする説もあり、詳細は不明。当地は淀川河口の砂洲で荒蕪地であったから、曾根は石が多く地味のやせた地をさす磽・
の意と思われる。観応元年(一三五〇)三月二七日の売券(小杉榲邨採集文書)に「在四天王寺御領沢上江庄内」とあり、四至にみえる「北曾禰崎領」は当地と考えられる。当地の開発は国分寺(現大淀区)の渡辺十郎源契が行い、のち渡辺二郎左衛門薫が同地より移住して一村をなしたという。
曾根崎村
そねざきむら
[現在地名]鳥栖市曾根崎町・松原町
大木川の北、東岸の平地と低位段丘からなる。段丘に立地する集落の東部を田代外町から分岐して南に向かう久留米道が通る。田代町「一里山より曾根崎迄十四町」と元禄絵図にみえる。文治三年(一一八七)五月九日の源頼朝下文案(曾根崎元一文書)に「肥前国基肄郡内、曾禰崎并堺別符行武名」とある。根は禰とも書く。低位段丘地は、絶好の古代人の定住地であって曾根崎集落の西・南・東には先史遺跡があり、その中の四木の微高地には長者伝説が残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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