精選版 日本国語大辞典 「最勝四天王院」の意味・読み・例文・類語 さいしょうしてんのう‐いん‥シテンワウヰン【最勝四天王院】 京都市東山区三条通白川橋のあたりにあった寺。元久二年(一二〇五)後鳥羽院が関東調伏のため建立。貞応元年(一二二二)焼失。のち青蓮院(しょうれんいん)に引き継がれた。ついたてに諸国の歌枕を描いてあったことで知られる。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「最勝四天王院」の解説 最勝四天王院さいしようしてんのういん 京都市:東山区粟田口村五軒町最勝四天王院後鳥羽院が関東調伏のため三条白川(しらかわ)橋辺(京都市東山区五軒町)に建てた寺で、現存しない。この建立により、同地にあった金剛勝(こんごうしよう)院が吉水(よしみず)(現東山区)に移された。「百錬抄」承元元年(一二〇七)一一月二三日条に「最勝四天王院供養。習礼。仍上皇御幸」、同二七日条に「上皇御堂御所御移徙也」とあり、完成時期が知れる。これを機に大赦が行われ、元号を承元と改めた(円光大師絵詞伝)。翌年には薬師堂も建立され、「百錬抄」三月二八日条に「最勝四天王院内薬師堂供養也」とある。後鳥羽院がしばしば当院に参り、「希代之御願」をこめて写経に余念のなかったことは、「百錬抄」「白川業資王記」などにうかがえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by