朝日日本歴史人物事典 「有厳」の解説
有厳
生年:文治2(1186)
鎌倉時代の律宗の僧。「ゆうごん」ともいう。唐招提寺西方院を拠点とした斎戒衆(律宗の下級僧侶)の祖。字は長忍房,慈禅房とも。嘉禎2(1236)年,円晴,覚盛,叡尊と共に東大寺法華堂で自誓受戒を受け,南都における中世戒律復興運動の草分けのひとりとなった。寛元2(1244)年から宝治2(1248)年には入宋して律三大部を日本にもたらした。しかし,正式の出家者の戒である比丘戒を捨て,在家の人が保つ斎戒のみを持して唐招提寺に西方院を建てたため,道を退いて堕落したと非難された。彼が建てた西方院は唐招提寺の墓所として,同寺の葬祭活動に際して,葬送に従事する斎戒衆の拠点となった。<参考文献>細川涼一『中世の律宗寺院と民衆』
(細川涼一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報