有戸村(読み)ありとむら

日本歴史地名大系 「有戸村」の解説

有戸村
ありとむら

[現在地名]野辺地町 有戸・干草橋ひくさばし木明きみよう明前みようまえ蟹田かにたなど

通称有戸。野辺地湾沿いの海辺に位置し、北は横浜よこはま(現横浜町)南西野辺地村に接する。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に村名はみえず、「有戸野」とのみある。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には蔵分一四七石余、給分八斗余とあり、馬一一九疋を飼養。家数は八二、うち本村三一、支村蟹田一二、明前一六、木明一一、干草橋一二で、本村と支村とを合せて有戸五ヵ村と称した。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では田名部たなぶ往還の駅場とあり家数四八、うち本村二一、支村の干草橋三、木明一二、明前一〇、蟹田八(数字は史料どおり)。初め七戸しちのへ通に属していたが、のち野辺地通に属する。

天和二年(一六八二)に切支丹禁制、貞享五年(一六八八)に捨馬禁止、元禄一二年(一六九九)に人身売買に関する高札が立てられた(御領分高札集)


有戸村
あるとむら

[現在地名]寿都郡寿都町字歌棄町うたすつちよう

明治初年(同二年八月―同六年の間)より同三九年(一九〇六)まで存続した村。アリトとも。潮路うしよろ村の北にある。明治四年の歌棄郡永住人別書上(祭魚洞文庫旧蔵)ではアルトとみえ、家数二〇・人別八九。また相櫛内とあるのは近世のアイヒクシナイに由来するものと考えられ、家数三七・人別一八〇とある。同年の「春日紀行」に有戸と記される(同年五月二六日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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