日本歴史地名大系 「野辺地村」の解説
野辺地村
のへじむら
野辺地湾を北側に擁する海辺に位置する。北上した奥州街道が村内を通り、東と南は
これは伊達宗政が所領である
文禄二年(一五九三)の南部信直書状(南部家文書)に「野辺地よこ浜」「野辺地」とみえ、初代藩主信直は八戸二郎(根城南部氏)に宛てて
正保四年の南部領内総絵図に一一六石余とあり、同年の郷村帳によれば一一六・七五石のうち田が七五・九八二石であった。藩政当初は石井伊賀守直弥の知行地で、石井氏は野辺地とその近辺に合せて二千石を領し、野辺地城に居城した(岩手県史)。寛文五年(一六六五)七戸城(現七戸町)内に七戸代官所が設置されると、七戸通代官野辺地忠左衛門が野辺地代官を兼任し、野辺地城は藩の直轄となった。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に村名がみえ、七戸通の所属とされる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報