有馬新一(読み)アリマ シンイチ

20世紀日本人名事典 「有馬新一」の解説

有馬 新一
アリマ シンイチ

明治期の海軍中将,男爵



生年
嘉永4年1月26日(1851年)

没年
明治42(1909)年12月6日

出生地
薩摩国鹿児島(鹿児島県)

旧姓(旧名)
簗瀬 新之丞

学歴〔年〕
海軍兵学寮〔明治7年〕卒

経歴
薩摩藩士の子に生まれる。初め簗瀬新之丞、のち有馬家を継いで新一と改名した。海軍兵学寮第1期生で、明治7年首席で卒業し少尉補となる。8年米国に航海し、10年西南戦争では筑波に乗り組む。15年大尉。23年高等軍法会議判士長となり、大佐。日清戦争では戦艦金剛艦長となり、戦利艦・鎮遠の回航委員長を務める。28年海防艦・橋立の艦長となり旭日小綬章を受ける。30年英国で竣工した戦艦・八島の回航委員長としてスエズ運河を見事通過させ操艦の名手として知られる。33年北清事変には艦隊司令官、日露戦争では海軍教育本部長、艦政本部長、呉鎮守府司令長官を務めた。35年中将に進み、36年東京軍法会議判士長となる。39年第1艦隊司令長官に就任。40年男爵。42年佐世保鎮守府司令長官在任中に死去した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「有馬新一」の解説

有馬新一

没年:明治42.12.6(1909)
生年:嘉永4.1.26(1851.2.26)
明治期の海軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士の子。初め簗瀬新之丞,のち有馬家を継いで新一と改名。明治7(1874)年,兵学寮第1期生中首席で卒業し少尉補。8年米国に航海する。10年西南戦争では「筑波」に乗り組んだ。15年大尉。23年高等軍法会議判士長,大佐。日清戦争で戦艦「金剛」の艦長を務め,戦利艦「鎮遠」回航委員長。28年海防艦「橋立」艦長となり,功4級旭日小綬章を受ける。30年9月英国で竣工した1万2500tの戦艦「八島」回航委員長としてスエズ運河を見事通過させ操艦の名手として知られる。33年北清事変には艦隊司令官,日露戦争では海軍教育本部長,艦政本部長,呉鎮守府司令長官を務めた。35年中将に進み,36年東京軍法会議判士長。39年第1艦隊司令長官に就任。40年男爵。42年佐世保鎮守府司令長官在職中に死去。<参考文献>下竹原弘志『熱き薩摩の群像700名』

(影山好一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「有馬新一」の解説

有馬新一 ありま-しんいち

1851-1909 明治時代軍人
嘉永(かえい)4年1月26日生まれ。海軍兵学寮第1期の卒業生。操艦の名手として知られた。明治35年海軍中将。艦政本部長,第一艦隊司令長官,佐世保鎮守府司令長官などを歴任した。明治42年12月6日死去。59歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身旧姓は簗瀬(やなせ)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「有馬新一」の解説

有馬 新一 (ありま しんいち)

生年月日:1851年1月26日
明治時代の海軍軍人。佐世保鎮守府司令長官;男爵
1909年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android