服織郷(読み)はとりごう

日本歴史地名大系 「服織郷」の解説

服織郷
はとりごう

和名抄」所載の郷。後世「はっとり」といわれる職業的部民は、服部・服織・織部・服などと書かれた。「和名抄」高山寺本の郷名の訓が七例とも「波止利」とあるのに従う。美濃国神名帳の安八郡に「八田若宮明神」「八田明神」があり、当郷と関係させる説もある(「濃飛両国通史」「大日本地名辞書」など)。「濃飛両国通史」は両社を南平野みなみひらの八条はちじようの松尾社、あるいは同村加納かのう(以上現神戸町)矢田やた神明社にあてる説を紹介し、当郷を南平野村および南の北杭瀬きたくいせ(現大垣市)に比定している。「大日本地名辞書」は現大垣市外側とがわ町の八幡神社を「八田若宮明神」とする可能性を示唆し、大垣町・南杭瀬・安井やすい三城みき(現大垣市)付近とする。


服織郷
はとりごう

服織庄を継承したと思われる戦国期の郷名。羽鳥郷とも記される。天文九年(一五四〇)五月三日の正親町三条公兄判物写(駿河志料)によると、公兄は母(今川義忠の娘で、氏親の姉、龍津寺殿)菩提所である龍津りゆうしん(現羽鳥に所在)長鯨蔵主に、「服織之郷」の山屋敷および「森上・拾石嶋」の境目を新開次第寺領とするように与えている。今川義元は、同一二年四月一〇日に同様のことを安堵して龍津寺を祈願寺とし、翌年一一月二九日には長鯨から竜波へ相承された同寺住持職を安堵した(ともに「今川義元判物写」同書)


服織郷
はとりごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「服織」と記し訓を欠く。「福山志料」は「今ノ服部ナリ」とする。「日本地理志料」は服部本郷はつとりほんごう服部永谷はつとりながたに二村(現福山市)にあてる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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