朕は国家なり(読み)チンハコッカナリ(その他表記)L'État, c'est moi

デジタル大辞泉 「朕は国家なり」の意味・読み・例文・類語

ちん国家こっかなり

《〈フランスL'État, c'est moi.》私は国家そのものである。ルイ14世言葉で、17世紀フランスの絶対主義を象徴する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朕は国家なり」の意味・わかりやすい解説

朕は国家なり
ちんはこっかなり
L'État, c'est moi

フランス国王ルイ 14世が宣言したといわれ,絶対主義王制を象徴する言葉として知られる。彼は最高国務会議,顧問会議を主宰し,国内のいかなる独立的権力も容認せず,行政統帥外交全権を掌握したが,さらに,高等法院権威が王の権威に対立するものと考えられるかぎり,国家に悪影響を生ぜしめるとして,高等法院を自己の権威のもとに屈服させた。この言葉もそのときに発言されたものとして伝えられている。

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とっさの日本語便利帳 「朕は国家なり」の解説

「朕は国家なり」

フランス、ブルボン朝第三代国王“太陽王”ルイ一四世(在位一六四三~一七一五)がいったとされる、絶対主義、絶対君主制国家観(王権神授説)を象徴することば。

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旺文社世界史事典 三訂版 「朕は国家なり」の解説

朕は国家なり
ちんはこっかなり

絶対主義君主の国家観の1つ
フランスの絶対主義絶頂期の王,ルイ14世の言葉と伝えられる。

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世界大百科事典(旧版)内の朕は国家なりの言及

【ルイ[14世]】より

…マザランが没した翌61年から親政を開始した。〈朕は国家なり〉という彼の言葉が示すように,ルイ14世は国務に関するすべての決定を自ら行おうと努め,同時に手足となる官僚機構の整備に力を注いだ。中央では宰相制を廃止,国王自ら臨席する最高国務会議の権限を強化し,地方では,国王の直轄官僚である〈地方長官(アンタンダン)〉の制度を確立した。…

※「朕は国家なり」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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