20世紀日本人名事典 「望月玉泉」の解説
望月 玉泉
モチヅキ ギョクセン
江戸時代末期〜大正期の日本画家
- 生年
- 天保5年6月14日(1834年)
- 没年
- 大正2(1913)年9月16日
- 出生地
- 京都
- 本名
- 望月 重岑
- 別名
- 字=直一,主一,通称=駿三,別号=玉渓
- 経歴
- 祖父玉仙、父玉川ともに望月派を継ぐ画家で、父に画を学び、その名を襲う。また文学を巌垣六蔵に学んだ。菊亭家に仕え、諸国を遊歴。安政2年の禁裏造営、慶応3年の明治天皇即位の際には御用画を務めた。明治11年幸野楳嶺らと共に京都府に画学校設立を建議し、13年京都府画学校開設時に東宗の副教員となるが、まもなく辞任。また女学校及び盲啞院の教諭も兼ね、印刷局、博物局の依頼で正倉院御物を写す。15年第1回内国絵画共進会で絵事功労褒状、17年同第2回では銅章を受章。さらに内国勧業博などで受賞を重ね、22年パリ万博で銅賞、26年シカゴ万博でも受賞した。37年帝室技芸員。望月派に岸派と四条派を折衷した画風を確立、特にその芦雁は評判を集めた。代表作に「雪中芦雁」「海辺千鳥」など。門下に川合玉堂がいる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報