出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
倭絵、やまと絵とも書く。平安時代には中国的な主題を描いた唐絵(からえ)に対して、日本の風景や風俗を描いた絵を大和絵とよんだ。とくに月ごとや季ごとの風物を主題とした月次絵(つきなみえ)や四季絵、あるいは日本各地の名所を主題とした名所絵の描かれた屏風(びょうぶ)や障子絵の呼称として用いられた。文献上の初例は10世紀末であるが、9世紀後半にはすでに制作されていたと考えられ、以後平安時代を通じて和歌文学と密接な関係をもちながら発展した。しかし、鎌倉時代後期に宋元(そうげん)絵画の舶載が盛んになると、これらの輸入された中国画やさらにその画風に倣って日本において制作された新様式の絵画を唐絵とよぶようになり、これに対して大和絵は平安時代以来の伝統的な様式の絵画の総称として用いられるようになる。したがって大和絵は、題材のみならずその画風においても唐絵と区別されたといえる。ついで15世紀に土佐派が興隆して宮廷の画所預(えどころあずかり)の地位を世襲するようになると、大和絵は土佐派の画風として流派的な意味をもつようになった。このような傾向は、16世紀に漢画の流派である狩野(かのう)派が隆盛を誇るに及んで、いっそう助長され、江戸時代には土佐派と住吉派が大和絵を家芸として標榜(ひょうぼう)した。また琳(りん)派や浮世絵も大和絵の伝統のうえに開花したことが指摘できる。江戸末期には復古大和絵派もおこった。このように大和絵の語義は時代によって異なるが、現在では広く日本的な絵画をさすことが多い。
[加藤悦子]
『源豊宗著『大和絵の研究』(1976・角川書店)』▽『『下店静市著作集8 大和絵史研究』(1985・講談社)』
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…倭絵,大和絵とも書く。〈やまと絵〉は,日本絵画史のうち宗教画を除く鑑賞的絵画,すなわち風景・花鳥画,物語・人物・風俗画などのジャンルにおける最も主要な基礎概念として,平安時代以来現代に至るまで長い間用いられてきた。…
※「大和絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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