木下又三郎(読み)キノシタ マタサブロウ

20世紀日本人名事典 「木下又三郎」の解説

木下 又三郎
キノシタ マタサブロウ

昭和期の実業家 本州製紙社長



生年
明治22(1889)年11月13日

没年
昭和52(1977)年3月8日

出生地
愛知県

旧姓(旧名)
友山

学歴〔年〕
東京帝大工学部〔大正5年〕卒

経歴
王子製紙入社。大正9年樺太(現・サハリン)の大泊(現・コルサコフ)工場に転勤。昭和8年からソ連との国境に近い敷香(現・ポロナイスク)に日本最初の人絹パルプ工場の建設に着手、10年完成。この工場が成功し、19年取締役、樺太9工場の総責任者となる。敗戦後、シベリア抑留。25年帰国、副社長就任。直ちに日本最初の連続蒸解釜を導入した最新鋭工場を愛知県春日井市に建設。31年経営不振に陥った旧王子系の本州製紙社長に就任。画期的なダンボール製造工場を釧路に建設するなどして再建を果たした。44年会長、47年相談役。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木下又三郎」の解説

木下又三郎 きのした-またさぶろう

1889-1977 昭和時代の実業家。
明治22年11月13日生まれ。王子製紙にはいり,昭和19年樺太(からふと)9工場の統轄責任者となる。戦後シベリアに抑留。3社(十条・本州・苫小牧(とまこまい))分割後の苫小牧製紙(現王子製紙)副社長をへて,31年本州製紙(現王子製紙)社長。昭和52年3月8日死去。87歳。愛知県出身。東京帝大工学部卒。
格言など】私が叱るのは見込みある人だけ。見込みがないのを叱っても意味がない

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android