日本歴史地名大系 「木寺村」の解説 木寺村きでらむら 大阪府:大阪市淀川区木寺村[現在地名]淀川区木川東(きがわひがし)一―二丁目西流する中津川右岸にあり、西は川口新家(かわぐちしんけ)村。中津川に並行して村の南部を能勢(のせ)街道(池田道)が通る。元和元年(一六一五)から五年まで大坂藩松平忠明領、同五年幕府領となり、寛文三年(一六六三)旗本小笠原信吉領、以後同家領として幕末に至る。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図では二三八石余、旧高旧領取調帳では二四一石余。増加分三石余は幕府領流作地。当村と対岸南中島の光立寺(みなみなかじまのこうりゆうじ)村(現大淀区)との間には渡しがなかったが、明治六年(一八七三)に長さ八六間の木橋(新橋という)が架けられ、能勢街道は南進して下三番(しもさんば)村(現大淀区)で大坂から神崎(かんざき)(現兵庫県尼崎市)を経て西国街道に至る街道に合流するようになった。 木寺村きでらむら 奈良県:奈良市奈良町木寺村[現在地名]奈良市紀寺(きでら)町・東紀寺町一―三丁目・南紀寺町一―五丁目付近紀寺町の東に所在。慶長郷帳の村高一一八八・七三石。江戸時代を通じて興福寺領。天保郷帳には「古ハ木寺村紀寺村」とみえる。鎌倉時代には当地で南市が開かれたが戦国期に衰退した(→奈良町)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by