日本歴史地名大系 「木屋瀬村」の解説 木屋瀬村こやのせむら 福岡県:北九州市(旧筑前域)八幡西区木屋瀬村[現在地名]八幡西区木屋瀬・木屋瀬一―五丁目・真名子(まなご)一丁目金剛(こんごう)山の西、犬鳴(いぬなき)川との合流点付近の遠賀(おんが)川中流右岸に位置する。近世には鞍手(くらて)郡に属し、北は遠賀郡楠橋(くすばし)村、南は感田(がんだ)村(現直方市)。古代の遠賀(おか)郡木夜(こや)郷(和名抄)の遺称地とする説がある。小屋瀬村とも記された。文安五年(一四四八)八月の麻生弘家知行目録写(麻生文書/筑前麻生文書)に「野面内木屋瀬津」とみえ、当地は野面(のぶ)庄内で、麻生弘家の支配する津があった。文明一二年(一四八〇)九月一四日、麻生氏の支配する若松(わかまつ)(現若松区)を発った連歌師の飯尾宗祇は、麻生氏の警護を受けて、「木屋の関」で泊まったが、暁近くに扇天神の神から扇を賜る夢を見たといい、その後守護代陶弘詮の館に至っている(筑紫道記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報