日本歴史地名大系 「木月村」の解説 木月村きづきむら 神奈川県:川崎市中原区木月村[現在地名]中原区木月・木月(きづき)〈住吉(すみよし)町・伊勢(いせ)町・大(おお)町・祇園(ぎおん)町〉北は今井(いまい)村、南は矢上(やがみ)川を隔てて矢上村(現横浜市港北区など)、東は北加瀬(きたかせ)村(現幸区)、西は井田(いだ)村に接する。村南部は丘陵、北部は平地の村。二(に)ヶ領(りよう)用水を宮内(みやうち)村・上小田中(かみこだなか)村境から分岐する木月用水(長さ二千五〇〇間、幅八尺、深さ七尺)を用いる。小田原衆所領役帳には蒲田助五郎「三貫文 稲毛庄木月郷今井屋けへ方」、太田新六郎「廿五貫文 稲毛木月」とある。 木月村きづきむら 福岡県:鞍手郡鞍手町木月村[現在地名]鞍手町木月・弥生(やよい)一―三丁目古門(ふるもん)村の東、遠賀(おんが)平野の中心部に位置し、村内を室木(むろき)川(西川)が流れる。東は遠賀郡上底井野(かみそこいの)村(現中間市)、上木月村、北は遠賀郡中底井野村(現中間市)。戦国時代末期には御牧(みまき)郡(遠賀郡)に属していたが、のち鞍手郡に属するようになったという(地理全誌)。文明七年(一四七五)八月吉日、当地の剣(つるぎ)神社に神輿が奉納されている(太宰管内志)。小早川時代の指出前之帳では木月村の田一七町一反余(分米一三四石余)・畠六六町三反余(分大豆二六三石余)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by