日本歴史地名大系 「鞍手町」の解説 鞍手町くらてまち 福岡県:鞍手郡鞍手町面積:三五・五八平方キロ(境界未定)郡の北部に位置する。北東部は遠賀(おんが)平野に連なる平地だが、南部は六(むつ)ヶ岳(三三八・九メートル)などがそびえる山地である。南は六ヶ岳を境に宮田(みやた)町、北は遠賀郡遠賀町・中間市、東は北九州市八幡西(やはたにし)区・直方(のおがた)市、西は宗像市・宮田町に接する。町の南を九州縦貫自動車道と山陽新幹線が通り、東をJR筑豊本線が走る。六ヶ岳の北面より流れ出る西(にし)川(室木川、遠賀川支流)が町の中央部を貫流している。古月(ふるつき)横穴は装飾古墳として知られ、古門(ふるもん)窯跡は六世紀代の須恵器の窯跡である。古代は鞍手郡に属し、新北(にぎた)は同郡新分(にいきだ)郷(和名抄)の遺称地と考えられる。長谷(はせ)の長谷寺の木造十一面観音立像、中山の円清(なかやまのえんせい)寺の不動明王像は平安時代後期―末期の作と推定される(鞍手町誌)。中世には町域の多くは植木(うえき)庄に属したが、室木(むろき)・古門(古物)が宗像社領、八尋(やひろ)は紀伊高野山金剛三昧(こんごうざんまい)院領の粥田(かいた)庄に属していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鞍手町」の意味・わかりやすい解説 鞍手〔町〕くらて 福岡県北部,遠賀川中流域にある町。直方平野の北部に位置する。 1955年剣 (つるぎ) 町と西川,古月 (ふるつき) の2村が合体して発足。沖積平野が開け,かつては米作を主とする農村であったが,明治中期に炭鉱が開かれて急速に発展。最盛時の 55年には炭鉱数約 20,人口3万をこえる石炭の町となった。エネルギー革命によって 64年大手の炭鉱が閉山。現在は北九州市に近いため産炭地域振興事業が順調で,プレハブ住宅,電機,金属,機械などの企業が立地。住宅地化が進む一方,ブドウ栽培,養鶏なども行われる。重要文化財の不動明王像のある円清寺,同十一面観音像のある長谷寺,史跡の古月横穴がある。南部を九州自動車道が通る。面積 35.60km2(境界未定)。人口 1万5080(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by