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木村吉清 きむら よしきよ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木村吉清 きむら-よしきよ

?-1598 織豊時代の武将。
明智光秀,豊臣秀吉につかえる。小田原攻めの際の戦功により陸奥(むつ)の大崎氏,葛西(かさい)氏の所領30万石をあたえられ,登米(とよま)城(宮城県)にはいる。天正(てんしょう)18年大崎・葛西氏旧臣の一揆(いっき)が発生したとき,蒲生氏郷(がもう-うじさと),伊達政宗にすくわれたが,所領を没収され蒲生氏の家臣になった。慶長3年死去。通称は弥一右衛門。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

木村吉清

没年:慶長3(1598)
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の家臣。元は明智光秀の臣。山崎の合戦以後に秀吉に従う。天正18(1590)年秀吉の小田原攻めに参陣。後北条氏を滅ぼしたのち,秀吉は奥州仕置を断行する。このとき吉清は大崎義隆,葛西晴信の旧領30万石を与えられ,登米城(宮城県登米町)に拠った。秀吉が奥羽の検地について厳しく指令したことにより,徹底的な検地が実施され始めると,奥羽の各地で太閤検地反対の一揆が起こった。もっとも激しかったのは,天正18年から翌年にかけて吉清の所領内で起きた一揆であり,これを葛西・大崎一揆という。このため吉清は所領の没収となるが,のち文禄3(1594)年に豊後国内に1万4000石を与えられた。

(伊藤喜良)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きむらよしきよ【木村吉清】

?‐1595か96(文禄4か慶長1)
安土桃山時代の武将。通称弥一右衛門尉,伊勢守。初名は清久。初め明智光秀の臣,のち豊臣秀吉に仕えた。1590年(天正18)小田原征伐の武蔵岩槻攻撃に参加,同年8月5000石から陸奥葛西・大崎旧領30万石を与えられ登米郡登米城に入ったが,葛西・大崎一揆の蜂起により翌年2月所領を収められ,蒲生氏郷の与力となり信夫郡福島城主。94年(文禄3)豊後国内に1万4000石を給された。【小林 清治】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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世界大百科事典内の木村吉清の言及

【大崎氏】より

…1590年小田原征伐に参陣せず,所領を没収されて滅亡した。同年遺臣たちが,あとに入った木村吉清に対する反乱を起こしている(葛西・大崎一揆)。戦国末期の居城は玉造郡名生(みよう)(現,宮城県古川市)。…

【葛西・大崎一揆】より

…16世紀末,陸奥国におきた地侍・農民の一揆。1590年(天正18)8月,豊臣秀吉の〈奥羽仕置〉によって葛西晴信,大崎義隆は改易となり,木村吉清が現在の宮城県北部から岩手県南部にわたる旧領12郡を与えられて登米(とよま)城に入った。10月初め加美郡で,伝馬役に反対する大崎旧臣や上層農民が刀をもって抵抗し30余人が磔に処されたが,まもなく葛西旧領の胆沢・気仙・磐井諸郡,続いて中旬には旧大崎領の玉造郡に一揆がおき,さらに葛西・大崎旧領全域に一揆は波及し,吉清・清久父子は登米郡佐沼城に包囲された。…

※「木村吉清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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