朝日日本歴史人物事典 「本因坊秀策」の解説
本因坊秀策
生年:文政12.5.5(1829.6.6)
江戸末期の囲碁棋士,14世本因坊秀和跡目。備後国因島(因島市)出身。本姓桑原,幼名虎次郎。天保8(1837)年本因坊丈和門に入り,10年初段。弘化3(1846)年,幻庵因碩に定先で3連勝し名声を高めた。嘉永1(1848)年六段に進み,本因坊秀和の跡目となる。翌年から御城碁に出仕し,以後13年間に19局全勝を記録した。同6年から太田雄蔵との30番碁は有名。黒番を持って三隅の小目を占める布石「秀策流」は近代布石の碁礎となった。文久2(1862)年,流行病(コレラという)患者の看護に当たり,自らも感染して本因坊跡目のまま急逝。道策,丈和と並んで碁聖と呼ばれる。<参考文献>荒木直躬『本因坊秀策全集』(歴代名人囲碁大系),福井正明『秀麗秀策』(囲碁古典名局選集)
(谷口牧夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報