本因坊秀策(読み)ほんいんぼうしゅうさく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本因坊秀策」の意味・わかりやすい解説

本因坊秀策
ほんいんぼうしゅうさく

[生]文政12(1829).備後因島
[没]文久2(1862)
囲碁高手。上手 (7段) で早世したが碁聖とうたわれた。幼名虎次郎,父方の姓は桑原,のちに母方の姓安田を名のり,栄斎また寛斎とも称した。 12世本因坊丈和の門に入り,嘉永1 (1848) 年,14世本因坊秀和の跡目となる。同2年に御城碁に初出仕,以後文久1 (61) 年まで,定例のほかに御好み対局を含めて 19局をつとめ,全勝の記録を残している。 34歳 (数え年) で家督相続前に急逝したため,本因坊家継承の過程が乱れた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本因坊秀策」の解説

本因坊秀策 ほんいんぼう-しゅうさく

1829-1862 江戸時代後期の囲碁棋士。
文政12年5月5日生まれ。天保(てんぽう)8年12世本因坊丈和(じょうわ)に入門。嘉永(かえい)元年6段にすすみ,14世本因坊秀和(しゆうわ)の跡目となる。御城碁では,13年間で19局全勝の記録をつくった。文久2年8月10日コレラのため急死。34歳。4世道策,丈和とならび,碁聖とよばれた。備後(びんご)(広島県)出身。姓は桑原。通称は虎次郎。

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367日誕生日大事典 「本因坊秀策」の解説

本因坊秀策 (ほんいんぼうしゅうさく)

生年月日:1829年5月5日
江戸時代末期の囲碁棋士
1862年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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