本因坊丈和(読み)ほんいんぼうじょうわ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

本因坊丈和
ほんいんぼうじょうわ

[生]天明7(1787)
[没]弘化4(1847).10.10.
囲碁名人。生地は信濃か武蔵とされる。本姓葛野 (かどの) 。 11世本因坊元丈門下文政 10 (1827) 年,師の隠居により 12世本因坊となる。天保2 (31) 年,林元美,11世井上因碩 (幻庵) らを籠絡して名人碁所になったが,彼らの反撃によって同 10年隠居させられた。しかし雄渾の碁風は当時の碁界でやはり一歩ぬきんでており,江戸時代後期には道策と並んで前聖後聖とうたわれた。門下に 14世本因坊秀和がいる。のちに碁聖といわれるようになった秀策も,丈和の時代の本因坊に入塾した。著書に『国技観光』『収坪精思』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本因坊丈和 ほんいんぼう-じょうわ

1787-1847 江戸時代後期の囲碁棋士。
天明7年生まれ。本因坊元丈に入門。文政10年本因坊12世をつぎ,11年準名人8段。天保(てんぽう)2年名人碁所となったが,井上幻庵らの抗議により9年碁所を返上,10年引退。生地には駿河(するが)(静岡県)沼津など諸説がある。弘化(こうか)4年10月10日死去。61歳。本姓は戸谷,のち葛野。著作に「国技観光」「収枰精思(しゅうへいせいし)」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

本因坊丈和

没年:弘化4.10.10(1847.11.17)
生年:天明7(1787)
江戸末期の囲碁棋士,12世本因坊。生地には諸説があり,近年は伊豆国(沼津)説が有力。本姓戸谷,のちに葛野,幼名松之助。11世本因坊元丈門下。大器晩成の棋士で文政2(1819)年に六段,本因坊跡目となった。同10年,元丈の跡を継いで12世本因坊。天保2(1831)年名人碁所に就く。碁所をめぐっては安井仙知(知得),井上因碩(幻庵),林元美らとの間に角逐があり,丈和は術策を用いた。そのため,9年碁所返上を余儀なくされ,翌年丈策に家督を譲って退隠。<著作>『国技観光』『収秤精思』<参考文献>荒木直躬『本因坊丈和全集』(歴代名人打碁大系),高木祥一『剛腕丈和』(囲碁古典名局選集)

(谷口牧夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ほんいんぼうじょうわ【本因坊丈和】

1787‐1847(天明7‐弘化4)
江戸後期の囲碁名人。本姓戸谷,幼名松之助。武蔵国(埼玉県)本庄の生れといわれる(一説に信濃国生れ)。1827年(文政10)12世本因坊となり,31年(天保2)名人碁所に就いた。丈和は力碁で知られ,乱戦における深い読みは卓抜していた。本因坊道策の前聖に対して後聖といわれた。師の元丈(1775‐1832,11世本因坊),ライバルの8世安井知得(1776‐1838),幻庵因碩(げんなんいんせき)(1798‐1859,井上家11世),門下の秀和(1820‐73,14世本因坊)を世に囲碁四哲といい,その前に〈寛政・享和の覇者〉といわれた大仙知(安井家7世)があり,江戸の碁は最盛期を迎えていた。

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世界大百科事典内の本因坊丈和の言及

【碁】より

…なお,碁所の地位を得た者は次の8名のみである。初代本因坊算砂,中村道碩,2世安井算知,4世本因坊道策,4世井上因碩,5世本因坊道知,9世本因坊察元,12世本因坊丈和。江戸時代の家元は算砂を初代とする本因坊家,その跡を継いで碁所に就いた中村道碩を元祖とする井上家,準名人算哲を祖とする安井家,準名人門入(もんにゆう)を祖とする林家の4家である。…

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