改訂新版 世界大百科事典 「本因坊丈和」の意味・わかりやすい解説
本因坊丈和 (ほんいんぼうじょうわ)
生没年:1787-1847(天明7-弘化4)
江戸後期の囲碁名人。本姓戸谷,幼名松之助。武蔵国(埼玉県)本庄の生れといわれる(一説に信濃国生れ)。1827年(文政10)12世本因坊となり,31年(天保2)名人碁所に就いた。丈和は力碁で知られ,乱戦における深い読みは卓抜していた。本因坊道策の前聖に対して後聖といわれた。師の元丈(1775-1832,11世本因坊),ライバルの8世安井知得(1776-1838),幻庵因碩(げんなんいんせき)(1798-1859,井上家11世),門下の秀和(1820-73,14世本因坊)を世に囲碁四哲といい,その前に〈寛政・享和の覇者〉といわれた大仙知(安井家7世)があり,江戸の碁は最盛期を迎えていた。著書に《国技観光》《収枰精思(しゆうへいせいし)》がある。
執筆者:林 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報