本多信俊(読み)ほんだ のぶとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多信俊」の解説

本多信俊 ほんだ-のぶとし

1535-1582 戦国-織豊時代武将
天文(てんぶん)4年生まれ。徳川家康の臣。本能寺の変の直後,甲斐(かい)をおさめていた織田信長の臣河尻秀隆(ひでたか)のもと使者としておもむいたが,武田遺臣の蜂起に通じているとうたがわれ,天正(てんしょう)10年6月10日殺された。48歳。通称は百助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む