姫路城(読み)ヒメジジョウ

デジタル大辞泉 「姫路城」の意味・読み・例文・類語

ひめじ‐じょう〔ひめぢジヤウ〕【姫路城】

兵庫県姫路市にある城。正平元年=貞和2年(1346)赤松貞範が築城。のち、豊臣秀吉が改築し、さらに慶長5年(1600)入城した池田輝政が修築して現在の規模となった。日本の城郭建築最盛期の遺構で、天守閣群その他が現存。大天守小天守・渡櫓は国宝。平成5年(1993)世界遺産文化遺産)に登録された。白鷺はくろ城。白鷺しらさぎ城。

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共同通信ニュース用語解説 「姫路城」の解説

姫路城

5層6階の大天守と三つの小天守などがあり、国宝に指定されている。1601年から城主池田輝政いけだ・てるまさが大改築して現在の形になり、約400年間戦災に遭わなかった。1993年、奈良県斑鳩町の法隆寺地域の仏教建造物と共に日本で初めて国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。

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精選版 日本国語大辞典 「姫路城」の意味・読み・例文・類語

ひめじ‐じょうひめぢジャウ【姫路城】

  1. 兵庫県姫路市にある平山城。正平元年(一三四六)ごろ赤松貞範が創築。慶長六年(一六〇一)池田輝政が入封、同年着工、同一四年完成。のち本多・松平・榊原・酒井氏らが入封。姫山をらせん状に三旋回し、内中外に堀をめぐらす。天守閣は五重六階で三層の小天守三つを渡櫓(わたりやぐら)で連絡し、二重櫓門とともに国宝。白鷺(はくろ・しらさぎ)城。鷺城。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「姫路城」の意味・わかりやすい解説

姫路城
ひめじじょう

南北朝期~江戸期の城。兵庫県姫路市本(ほん)町にあり、白鷺(しらさぎ/はくろ)城ともよばれる。姫路平野の中央、高さ45メートルの姫山を本丸とした平山城(ひらやまじろ)の典型である。城の歴史は古く、1331年(元弘1)の元弘(げんこう)の乱のとき、播磨(はりま)守護赤松則村(あかまつのりむら)が陣を構えたのに始まり、1346年(正平1・貞和2)則村の子貞範(さだのり)が築城したと伝えられる。赤松氏は目代(もくだい)として小寺(こでら)氏を置いてこの城を守らせた。嘉吉(かきつ)の乱(1441)後、一時山名持豊(やまなもちとよ)(宗全(そうぜん))が入ったこともあるが、1545年(天文14)小寺氏が御著(ごちゃく)城に移ってからは、その臣黒田氏が拠(よ)っていた。1580年(天正8)に羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉が毛利(もうり)氏との戦いの拠点として本格的に改修し、三層の天守閣を築いた。これが現在の姫路城の始めである。天守閣解体修理のとき、現在の大天守の石垣の中から一回り小さい石垣が発見され、秀吉時代の天守閣が同じ位置にあったことが確認されている。しかし、今日みるような建物が建てられ、現在のような規模に拡張されたのはもうすこしあとで、1600年(慶長5)池田輝政(てるまさ)が姫路に入ってからであった。輝政は徳川家康の女婿ということもあり、播磨のほかに備前(びぜん)、淡路(あわじ)を領する大々名として本格的な近世城郭に大改修することを計画した。入封の翌1601年に着工し、9年の歳月をかけて完成したものである。城の曲輪(くるわ)配置は本丸、二の丸、三の丸、西の丸などからなり、内郭、中郭にそれぞれ堀を巡らして螺旋(らせん)形に配しているのが特徴といえる。天守閣をはじめ櫓(やぐら)、門など往時の建造物がほとんど残っており、日本一の城郭遺構で、築城技術がもっとも進歩した慶長(けいちょう)時代の逸品といえる。天守閣の完成したのは1609年で、そのあと1617年(元和3)に池田光政(みつまさ)が鳥取へ転封し、桑名(くわな)より本多忠政(ほんだただまさ)が入り、さらに松平(奥平)、松平(結城(ゆうき))、榊原(さかきばら)、松平(結城)、本多、榊原、松平(結城)と入れ替わり、1749年(寛延2)酒井忠恭(ただずみ)が前橋より転封され、以後明治維新まで世襲した。

 姫路城の建造物は、わが国にある城の建造物としては群を抜いて多く、国宝として大小天守4棟と渡櫓(わたりやぐら)4棟、重要文化財として櫓16棟、渡櫓11棟、門15棟、塀32棟がそれぞれ指定を受けている。天守閣は連立式で、大天守、西小天守、乾(いぬい)小天守、東小天守の大小四つからなり、とくに大天守は、高さが33メートルにも及び、外観5層、内部7階の大規模なもので、現存天守としては最大規模を誇っている。国宝および重要文化財として指定されているものに、折廻(おりまわし)櫓、井郭(いぐるわ)櫓、帯の櫓、帯郭(おびぐるわ)櫓、太鼓櫓、化粧櫓のほか、イロハの記号がつけられた渡櫓および櫓があり、また、二の丸大手門である菱(ひし)の門をはじめ、いろはの記号がつけられた門もたくさんある。そのうち、「るの門」はトンネル式の埋門(うずみもん)である。

 西の丸にある通称「百間廊下」は、他の城にみられない独特のもので、化粧櫓を起点とし、ヌ、ル、ヲ、ワの櫓と、カ、ヨ、タ、レの渡櫓を連ねたもので、単なる廊下ではなく、廊下の内側に20余の部屋ができているのが特徴である。1993年(平成5)、姫路城は世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[小和田哲男]


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改訂新版 世界大百科事典 「姫路城」の意味・わかりやすい解説

姫路城 (ひめじじょう)

兵庫県姫路市本町の姫山にある城郭。天守,櫓などの建築群を今に遺すことで名高い。国宝で,1993年世界文化遺産に登録された。起源は1346年(正平1・貞和2)赤松貞範が姫山に城を築いたことに始まる。近世の築城は,1580年(天正8)に当時の城主黒田孝高(如水)が,毛利氏と戦うべく西下した羽柴秀吉にこの城を明けわたし,秀吉の居城として普請したのに始まる。秀吉の後もその親族が城主であったが,関ヶ原の戦後,徳川家康はここに池田輝政を封じ,西国大名に備えた。輝政は大天守,小天守,渡櫓(わたりやぐら)などからなる天守群を1609年(慶長14)までに完成させるなど,大規模な改修工事を行った。現存の天守はこのときのものである。大天守は秀吉時代の三重天守の位置に建てられ,小天守建造には古材も使われた。現存の石垣にも輝政築城以前の部分がある。また,大手門から天守に至る複雑な縄張も黒田孝高の縄張を踏襲している可能性がある。天守は外観5重,内部6階,地下1階で,完成当時の天守は江戸城を除くと最大規模であった。平面の中央部に2本の大通柱(とおしばしら)を立てた構造は,織田信長の安土城天主のやり方を模したものであろう。天守をはじめ建築はすべて白漆喰(しつくい)の総塗籠(ぬりごめ)で,屋根は軒平瓦にいわゆる朝鮮瓦を用い,瓦の重なり目にも漆喰を塗る。これは沖縄などの民家に今も見られるやり方である。白鷺(しらさぎ)城と称される由来は屋根まで白い建築群の優美さによるのであろう。家康死後の1617年(元和3)に,池田氏に代わって本多忠政がここに封じられた。その際,忠政は西の丸を整備し,長男忠刻(ただとき)とその妻千姫(もと豊臣秀頼室)の居館とした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「姫路城」の意味・わかりやすい解説

姫路城
ひめじじょう

兵庫県姫路市本町にある平山城。別名,白鷺 (しらさぎ) 城。正平1=貞和2 (1346) 年に赤松貞範が築城したのに始まるという。以来,室町時代は赤松氏によって保たれ,戦国時代には小寺氏が在城した。豊臣秀吉が中国征伐の拠点として,天正8 (1580) 年ここに3層の天守閣を築いた。現在の規模にしたのは,慶長5 (1600) 年城主となった池田輝政で,その後入封した本多,松平,榊原の諸氏が三の丸,西の丸を改修し,寛延2 (1749) 年以来は酒井氏の居城として明治にいたった。城郭は,姫山を利用し,内・中・外の3重の堀をめぐらし,内・中・外の3重の郭からなり,東西約 1635m,南北約 1744mの広大なもの。内部は,本丸,二の丸,三の丸,西の丸からなり,本丸には,外部5層,内部6階の大天守と西,乾,東の3小天守を置き,これらを渡し櫓 (やぐら) で連絡させている。上下左右に多数の櫓,城門,土塀を配し,これに無数の狭間 (さま) を設けて防備を固くしてある。各櫓は千鳥破風 (はふ) や唐破風によって変化に富み,白漆喰 (しっくい) 塗りの白壁の総郭は一大美観を呈し,その構造とともに日本城郭史上の粋をなしている。城址は特別史跡,四つの天守閣および渡し櫓は国宝。 1993年世界遺産 (文化遺産) に登録されている。

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百科事典マイペディア 「姫路城」の意味・わかりやすい解説

姫路城【ひめじじょう】

兵庫県姫路市本町にある平山城。白鷺(しらさぎ)城とも。赤松貞範が1346年築城したのに始まり,羽柴(豊臣)秀吉が整備,池田輝政が大改造を行い,1609年までに天守(国宝),1617年に西の丸ができて城郭としての規模が整った。5層6階の大天守のほかに三つの小天守があって建物の高低,屋根の形態等変化の多い外観をみせるほか,櫓(やぐら),門,土塀(どべい)等合計82棟(むね)を有し,城郭建築最盛期の貴重な遺構。1993年世界文化遺産に登録。
→関連項目飾磨津世界遺産条約姫路[市]平山城

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日本の城がわかる事典 「姫路城」の解説

ひめじじょう【姫路城】

兵庫県姫路市にあった南北朝時代から江戸時代の城。姫山を本丸とする平山城(ひらやまじろ)の典型。南北朝時代に赤松貞範(さだのり)が築いたのが最初といわれる。本格的築城は豊臣秀吉が毛利氏攻撃の拠点としたときから。徳川家康は、西国大名に対する備えとして1600年(慶長5)、姫路城に女婿の池田輝政(てるまさ)を封じた。輝政は、現存規模の城郭へと大改修し、1609年(慶長14)に完成させた。盛時の近世城郭を伝える典型的遺構で、大小4つの天守をもつ連立式の天守閣のうち、もっとも大きい大天守は5重の屋根が巡り、地下1層を含む7層のもの。天守閣ほか多くの建造物は国宝、重要文化財に指定。1993年(平成5)、姫路城は世界遺産(文化遺産)に登録された。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。JR山陽本線・山陽電鉄姫路駅から徒歩15分。◇白漆喰(しっくい)を用いた優美な形態から、白鷺(しらさぎ)城ともよばれる。

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世界遺産詳解 「姫路城」の解説

ひめじじょう【姫路城】

1993年に登録された日本の世界遺産(文化遺産)で、兵庫県姫路市にある城。別名、白鷺城(はくろじょう/しらさぎじょう)とも呼ばれる。16世紀後半に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって基礎が築かれ、17世紀初頭に現在の姿になった。1956年に始まった「昭和の大修理」を経て、往時の姿に最も近い状態に保たれた。現存する日本の城郭建築の最高傑作といわれ、平山城(ひらやまじろ)の典型で、天守をはじめ城郭の主要部分が完存している貴重な遺産である。五重7階の大天守と、東、西、乾(北西)の3つの小天守は渡櫓(わたりやぐら)で結ばれ、幾重にも連なる千鳥破風(はふ)や唐破風の屋根を頂く大天守と、白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)に仕上げられた外壁が、鮮やかな構成美をもっていることなど、芸術的な優美さと要塞としての機能性や保存状態が評価され、世界遺産に登録された。2009年(平成21)から「平成の大修理」が始まっており、工期は2015年3月までの予定。◇英名はHimeji-jo

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事典 日本の地域遺産 「姫路城」の解説

姫路城

(兵庫県姫路市本町68)
世界遺産」指定の地域遺産。
姫路城は城郭建築の最盛期である17世紀初頭に建築されたもので、日本の城郭を代表する建造物。白壁で統一された優美な外観から「白鷺城」の別称がある。16世紀後半に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって基礎が築かれ、関ヶ原の戦い後、池田輝政が1601(慶長6)年~1609(慶長14)年にかけて新たに築城したもの。現在残る姫路城の構造物や建物はこの時のものである。1951(昭和26)年国宝に指定されている。1956(昭和31)年に始まった「昭和の大修理」を経て、当時の姿に最も近い状態に保たれた。姫路市の観光・文化の中核。2009(平成21)年より大天守の保存修理が行われている

姫路城

(兵庫県姫路市本町)
日本夜景遺産」指定の地域遺産。
世界遺産にも登録されている国宝城郭。279灯の電球で、日没から午前0時までライトアップ。4~10月は白色系、11~3月は暖色系で照らされる。2009(平成21)~2014(平成26)年まで大天守保存修理事業が行われる

姫路城

(兵庫県姫路市本町68番地)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

知恵蔵mini 「姫路城」の解説

姫路城

兵庫県姫路市にある城。5重7階の大天守と三つの小天守からなる天守閣、白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)の城壁が特徴。その優美な外観から白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)とも呼ばれる。城郭の主要部分がほぼ完全な形で現存しており、日本の城郭建築を代表する史跡建造物として名高い。1346年に赤松貞範が築いた小さな山城が始まりとされ、16世紀後半に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が本格的な城郭を建築。17世紀初めに池田輝政が現在の城郭を築き上げた。1951年に国宝に指定され、93年にはユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された。江戸時代より幾度も補修工事が行われており、2009年からは15年3月までの予定で「平成の大修理」が実施されている。

(2014-6-4)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「姫路城」の解説

姫路城
ひめじじょう

白鷺(しらさぎ)城とも。兵庫県姫路市にある近世の平山城。1346年(貞和2・正平元)赤松貞範が築城したのが最初とされるが,良質の史料では確認できない。その後城主は小寺氏,黒田氏と続く。1580年(天正8)豊臣秀吉が入り,3層の天守を築いた。1600年(慶長5)関ケ原の戦の戦功で池田輝政が入って新しく普請を始め,現存の5層の連立式天守を築造。池田氏ののち本多忠政が城主となり西丸を築造,現在の規模となった。姫山を本丸・二の丸とし,隣の鷺山を西丸,南側平野部を三の丸とする。城主の居館は本多氏のときから三の丸にあった。城下町は町屋すべてを外堀で囲む総構(そうがまえ)である。天守部分は国宝,中郭以内は国特別史跡。1993年世界文化遺産に指定。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「姫路城」の解説

姫路城
ひめじじょう

兵庫県姫路市本町にある城
白鷺 (はくろ(しらさぎ)) 城ともいう。1333年元弘の変に際し赤松則村が姫山に挙兵し,その子貞範が '46年に山上に城を築いたという。天正年間(1573〜92)に赤松氏の重臣小寺宗円が中国征討の将豊臣秀吉に居城の姫路城を提供。秀吉はここで毛利氏と対陣した。関ケ原の戦い(1600)後,池田輝政が入封し,大修理を行い,'09年完成。天守・櫓・門・白壁と城郭建築の美しさをよく表し,現存城郭建築中の傑作といわれる。世界文化遺産の一つに登録されている。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

事典・日本の観光資源 「姫路城」の解説

姫路城

(兵庫県姫路市)
さくら名所100選」指定の観光名所。

姫路城

(兵庫県姫路市)
日本100名城」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の姫路城の言及

【安土桃山時代美術】より

… 1600年代に入ると建築や美術の数もましてくる。彦根城,姫路城のような桃山天守建築が出現する。障壁画の分野では,当時における金銀の産出量の増加を反映して,金銀の箔や泥をより豊富に用いる傾向が見られ,障壁画は文字どおり黄金時代に入ったかの感がある。…

【播磨国】より

…国司四等官のうち大国にのみ置かれる大目(だいさかん)が712年(和銅5)に播磨国にいるので(《続日本紀》),8世紀初めより大国であったことがわかる。国府は《和名抄》によれば飾磨郡にあり,所在地はいまの姫路市で,姫路城の東または南東部と推定される。国名は《古事記》《旧事本紀(くじほんぎ)》等に〈針間〉と記され,播磨の表記が一般化するのは710年ころ以後である。…

※「姫路城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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