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姫路城 ひめじじょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

姫路城
ひめじじょう

兵庫県姫路市本町にある平山城。別名,白鷺 (しらさぎ) 城。正平1=貞和2 (1346) 年に赤松貞範が築城したのに始まるという。以来,室町時代は赤松氏によって保たれ,戦国時代には小寺氏が在城した。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

姫路城

別名白鷺城。初代姫路藩主の池田輝政が1601年から8年にわたり築いた。1993年には法隆寺とともに日本で初めて世界文化遺産に指定された。大天守と三つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)で結ばれており、門や塀などの建築物、石垣や濠(ほり)が周りを囲む。大天守の高さは石垣と合わせて46・3メートル。修理のため天守に入れなくなる前の2009年度には、過去最多の約156万人が訪れた。

(2013-09-18 朝日新聞 朝刊 東兵 2地方)

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デジタル大辞泉の解説

ひめじ‐じょう〔ひめぢジヤウ〕【姫路城】

兵庫県姫路市にある城。正平元年=貞和2年(1346)赤松貞範が築城。のち、豊臣秀吉が改築し、さらに慶長5年(1600)入城した池田輝政が修築して現在の規模となった。日本の城郭建築最盛期の遺構で、天守閣群その他が現存。大天守・小天守・渡櫓は国宝。平成5年(1993)世界遺産文化遺産)に登録された。白鷺(はくろ)城。白鷺(しらさぎ)城。

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百科事典マイペディアの解説

姫路城【ひめじじょう】

兵庫県姫路市本町にある平山城。白鷺(しらさぎ)城とも。赤松貞範が1346年築城したのに始まり,羽柴(豊臣)秀吉が整備,池田輝政が大改造を行い,1609年までに天守(国宝),1617年に西の丸ができて城郭としての規模が整った。
→関連項目飾磨津世界遺産条約姫路[市]平山城

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世界遺産詳解の解説

ひめじじょう【姫路城】

1993年に登録された日本の世界遺産(文化遺産)で、兵庫県姫路市にある城。別名、白鷺城(はくろじょう/しらさぎじょう)とも呼ばれる。16世紀後半に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって基礎が築かれ、17世紀初頭に現在の姿になった。1956年に始まった「昭和の大修理」を経て、往時の姿に最も近い状態に保たれた。現存する日本の城郭建築の最高傑作といわれ、平山城(ひらやまじろ)の典型で、天守をはじめ城郭の主要部分が完存している貴重な遺産である。五重7階の大天守と、東、西、乾(北西)の3つの小天守は渡櫓(わたりやぐら)で結ばれ、幾重にも連なる千鳥破風(はふ)や唐破風の屋根を頂く大天守と、白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)に仕上げられた外壁が、鮮やかな構成美をもっていることなど、芸術的な優美さと要塞としての機能性や保存状態が評価され、世界遺産に登録された。2009年(平成21)から「平成の大修理」が始まっており、工期は2015年3月までの予定。◇英名はHimeji-jo

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

ひめじじょう【姫路城】

兵庫県姫路市本町の姫山にある城郭。天守,櫓などの建築群を今に遺すことで名高い。起源は1346年(正平1∥貞和2)赤松貞範が姫山に城を築いたことに始まる。近世の築城は,1580年(天正8)に当時の城主黒田孝高(如水)が,毛利氏と戦うべく西下した羽柴秀吉にこの城を明けわたし,秀吉の居城として普請したのに始まる。秀吉の後もその親族が城主であったが,関ヶ原の戦後,徳川家康はここに池田輝政を封じ,西国大名に備えた。

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大辞林 第三版の解説

ひめじじょう【姫路城】

姫路市にある城。1346年頃赤松貞範が築城、1600年池田輝政が城主となって大改修を行なった。五層六階の大天守を中心とする連立式天守を本丸に擁する平山城形式で、日本の城郭建築の完成期の姿を伝える。白鷺しらさぎ・はくろ城。

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知恵蔵miniの解説

姫路城

兵庫県姫路市にある城。5重7階の大天守と三つの小天守からなる天守閣、白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)の城壁が特徴。その優美な外観から白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)とも呼ばれる。城郭の主要部分がほぼ完全な形で現存しており、日本の城郭建築を代表する史跡建造物として名高い。1346年に赤松貞範が築いた小さな山城が始まりとされ、16世紀後半に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が本格的な城郭を建築。17世紀初めに池田輝政が現在の城郭を築き上げた。1951年に国宝に指定され、93年にはユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された。江戸時代より幾度も補修工事が行われており、2009年からは15年3月までの予定で「平成の大修理」が実施されている。

(2014-6-4)

出典|(株)朝日新聞出版発行
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日本の城がわかる事典の解説

ひめじじょう【姫路城】

兵庫県姫路市にあった南北朝時代から江戸時代の城。姫山を本丸とする平山城(ひらやまじろ)の典型。南北朝時代に赤松貞範(さだのり)が築いたのが最初といわれる。本格的築城は豊臣秀吉が毛利氏攻撃の拠点としたときから。徳川家康は、西国大名に対する備えとして1600年(慶長5)、姫路城に女婿の池田輝政(てるまさ)を封じた。輝政は、現存規模の城郭へと大改修し、1609年(慶長14)に完成させた。盛時の近世城郭を伝える典型的遺構で、大小4つの天守をもつ連立式の天守閣のうち、もっとも大きい大天守は5重の屋根が巡り、地下1層を含む7層のもの。天守閣ほか多くの建造物は国宝、重要文化財に指定。1993年(平成5)、姫路城は世界遺産(文化遺産)に登録された。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。JR山陽本線・山陽電鉄姫路駅から徒歩15分。◇白漆喰(しっくい)を用いた優美な形態から、白鷺(しらさぎ)城ともよばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

姫路城
ひめじじょう

南北朝期~江戸期の城。兵庫県姫路市本(ほん)町にあり、白鷺(しらさぎ/はくろ)城ともよばれる。姫路平野の中央、高さ45メートルの姫山を本丸とした平山城(ひらやまじろ)の典型である。城の歴史は古く、1331年(元弘1)の元弘(げんこう)の乱のとき、播磨(はりま)守護赤松則村(あかまつのりむら)が陣を構えたのに始まり、1346年(正平1・貞和2)則村の子貞範(さだのり)が築城したと伝えられる。赤松氏は目代(もくだい)として小寺(こでら)氏を置いてこの城を守らせた。嘉吉(かきつ)の乱(1441)後、一時山名持豊(やまなもちとよ)(宗全(そうぜん))が入ったこともあるが、1545年(天文14)小寺氏が御著(ごちゃく)城に移ってからは、その臣黒田氏が拠(よ)っていた。1580年(天正8)に羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉が毛利(もうり)氏との戦いの拠点として本格的に改修し、三層の天守閣を築いた。これが現在の姫路城の始めである。天守閣解体修理のとき、現在の大天守の石垣の中から一回り小さい石垣が発見され、秀吉時代の天守閣が同じ位置にあったことが確認されている。しかし、今日みるような建物が建てられ、現在のような規模に拡張されたのはもうすこしあとで、1600年(慶長5)池田輝政(てるまさ)が姫路に入ってからであった。輝政は徳川家康の女婿ということもあり、播磨のほかに備前(びぜん)、淡路(あわじ)を領する大々名として本格的な近世城郭に大改修することを計画した。入封の翌1601年に着工し、9年の歳月をかけて完成したものである。城の曲輪(くるわ)配置は本丸、二の丸、三の丸、西の丸などからなり、内郭、中郭にそれぞれ堀を巡らして螺旋(らせん)形に配しているのが特徴といえる。天守閣をはじめ櫓(やぐら)、門など往時の建造物がほとんど残っており、日本一の城郭遺構で、築城技術がもっとも進歩した慶長(けいちょう)時代の逸品といえる。天守閣の完成したのは1609年で、そのあと1617年(元和3)に池田光政(みつまさ)が鳥取へ転封し、桑名(くわな)より本多忠政(ほんだただまさ)が入り、さらに松平(奥平)、松平(結城(ゆうき))、榊原(さかきばら)、松平(結城)、本多、榊原、松平(結城)と入れ替わり、1749年(寛延2)酒井忠恭(ただずみ)が前橋より転封され、以後明治維新まで世襲した。
 姫路城の建造物は、わが国にある城の建造物としては群を抜いて多く、国宝として大小天守4棟と渡櫓(わたりやぐら)4棟、重要文化財として櫓16棟、渡櫓11棟、門15棟、塀32棟がそれぞれ指定を受けている。天守閣は連立式で、大天守、西小天守、乾(いぬい)小天守、東小天守の大小四つからなり、とくに大天守は、高さが33メートルにも及び、外観5層、内部7階の大規模なもので、現存天守としては最大規模を誇っている。国宝および重要文化財として指定されているものに、折廻(おりまわし)櫓、井郭(いぐるわ)櫓、帯の櫓、帯郭(おびぐるわ)櫓、太鼓櫓、化粧櫓のほか、イロハの記号がつけられた渡櫓および櫓があり、また、二の丸大手門である菱(ひし)の門をはじめ、いろはの記号がつけられた門もたくさんある。そのうち、「るの門」はトンネル式の埋門(うずみもん)である。
 西の丸にある通称「百間廊下」は、他の城にみられない独特のもので、化粧櫓を起点とし、ヌ、ル、ヲ、ワの櫓と、カ、ヨ、タ、レの渡櫓を連ねたもので、単なる廊下ではなく、廊下の内側に20余の部屋ができているのが特徴である。1993年(平成5)、姫路城は世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[小和田哲男]

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世界大百科事典内の姫路城の言及

【安土桃山時代美術】より

… 1600年代に入ると建築や美術の数もましてくる。彦根城,姫路城のような桃山天守建築が出現する。障壁画の分野では,当時における金銀の産出量の増加を反映して,金銀の箔や泥をより豊富に用いる傾向が見られ,障壁画は文字どおり黄金時代に入ったかの感がある。…

【播磨国】より

…国司四等官のうち大国にのみ置かれる大目(だいさかん)が712年(和銅5)に播磨国にいるので(《続日本紀》),8世紀初めより大国であったことがわかる。国府は《和名抄》によれば飾磨郡にあり,所在地はいまの姫路市で,姫路城の東または南東部と推定される。国名は《古事記》《旧事本紀(くじほんぎ)》等に〈針間〉と記され,播磨の表記が一般化するのは710年ころ以後である。…

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