出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
戦国期から江戸期の城。長野県上田市二の丸にある。平城(ひらじろ)。別称尼ヶ淵城。真田昌幸(さなだまさゆき)・幸村(ゆきむら)(正しくは信繁(のぶしげ))父子が、二度にわたる徳川方の大軍を撃退した城として有名である。1583年(天正11)から85年にかけて真田昌幸によって築かれ、完成直後徳川軍の猛攻を受けたが、これを迎え撃ち、さらに1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの際も徳川秀忠(ひでただ)の攻撃を跳ね返し、秀忠を釘(くぎ)づけにしている。のち、徳川方に属していた昌幸の長子信之(のぶゆき)が入城したが、1622年(元和8)松代(まつしろ)に移封され、かわって仙石忠政(せんごくただまさ)が小諸(こもろ)より入り、さらに1706年(宝永3)松平忠周(ただちか)が入り、以後松平氏が幕末まで7代続いた。現在、仙石氏時代に築かれた櫓(やぐら)が3基(南櫓、北櫓、西櫓)残る。
[小和田哲男]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…94年再び秀吉の意志により浅井長政の三女江与(えよ)(於江(おごう),逵子(みちこ)とも,法号崇源院)と結婚,97年(慶長2)長女千姫をもうけ,翌年秀吉の死に先立ち秀吉の子秀頼と千姫の婚約が成立,秀忠の政治的地位は重みを増した。1600年関ヶ原の戦に東山道を西上したが,信州上田城の真田昌幸に遮られて決戦にまにあわず,家康の叱責を受けた。03年家康が征夷大将軍となり,千姫が入輿,秀忠は正二位内大臣。…
※「上田城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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