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本多政重 ほんだ まさしげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本多政重 ほんだ-まさしげ

1580-1647 織豊-江戸時代前期の武将。
天正(てんしょう)8年生まれ。本多正信の次男。本多正純の弟。はじめ徳川家康につかえ,のち宇喜多秀家(うきた-ひでいえ),福島正則(まさのり),前田利長らにつかえる。上杉景勝(かげかつ)の家臣直江兼続(なおえ-かねつぐ)の娘婿となり,妻の死後,ふたたび前田家につかえ国老となった。正保(しょうほ)4年6月3日死去。68歳。号は大夢。著作に「百戦百勝伝」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

本多政重

没年:正保4.6.3(1647.7.5)
生年:天正8(1580)
江戸前期の武将。加賀国金沢藩主前田氏の重臣本多氏の家祖。三河国岡崎辺で出生。初名倉橋長五郎,正木左兵衛,直江山城。通称は山城,安房守。老後は大夢居士と称す。本多正信の次男,正純の弟。12歳のころ徳川家譜代の倉橋長右衛門の養子となり14歳より奉仕。慶長2(1597)年8月徳川秀忠の乳母の子岡部庄八を斬殺し伊勢に逃れ,そのころ元服,姓名を変えて正木左兵衛と称す。まもなく京都で大谷吉隆に仕え,関ケ原の戦では西軍に属した。敗戦後は諸将の間を渡り歩いたが,同16年藤堂高虎の推挙により前田氏に仕えてやっと落ちついた。3万石の扶持を受け前田利常の命により本多安房守政重と称す。同8月には2万石を加増された。その著に『百戦百勝伝』(兵法の書)があり,伝記に子政長の自記による『本多政重伝』,『本多安房守政重事蹟抜抄』がある。

(藤實久美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の本多政重の言及

【本多正信】より

…江戸初期の大名。徳川家康の側近。創業期の江戸幕府で,のちの大老または老中に相当する位置にあった。通称を弥八郎。祖父の代からの松平氏の家臣。幼いころから4歳年下の家康に仕えたが,1563年(永禄6)三河一向一揆に参加して家康に背き,翌年国を出て加賀に住んだが帰参し,70年(元亀1)姉川の戦に参加。82年(天正10)には家康の文書を取り次いでおり,これ以前にその側近となっていたと考えられる。86年従五位下佐渡守。…

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