本多政重(読み)ほんだ まさしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多政重」の解説

本多政重 ほんだ-まさしげ

1580-1647 織豊-江戸時代前期の武将
天正(てんしょう)8年生まれ。本多正信次男本多正純の弟。はじめ徳川家康につかえ,のち宇喜多秀家(うきた-ひでいえ),福島正則(まさのり),前田利長らにつかえる。上杉景勝(かげかつ)の家臣直江兼続(なおえ-かねつぐ)の娘婿となり,妻の死後,ふたたび前田家につかえ国老となった。正保(しょうほ)4年6月3日死去。68歳。号は大夢。著作に「百戦百勝伝」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の本多政重の言及

【本多正信】より

…江戸初期の大名。徳川家康の側近。創業期の江戸幕府で,のちの大老または老中に相当する位置にあった。通称を弥八郎。祖父の代からの松平氏の家臣。幼いころから4歳年下の家康に仕えたが,1563年(永禄6)三河一向一揆に参加して家康に背き,翌年国を出て加賀に住んだが帰参し,70年(元亀1)姉川の戦に参加。82年(天正10)には家康の文書を取り次いでおり,これ以前にその側近となっていたと考えられる。86年従五位下佐渡守。…

※「本多政重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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