日本歴史地名大系 「本居浦」の解説
本居浦
もというら
郷ノ浦の西に位置し、壱岐島南部の主要な湊であった。中世から郷ノ浦に属し、元居とも記す。承和二年(八三五)新羅商人の来航が頻繁であるとして改めて当地など一四ヵ所の崎に要害を設け、兵仗を帯した徭人に守らせたという(壱岐名勝図誌)。「朝鮮王朝実録」太宗七年(一四〇七)五月己卯条に「一岐本井浦」とみえ、浦の大郎五郎が朝鮮王朝に使者を送って土物を献上。世宗六年(一四二四)・同一〇年にも本居浦の藤実・藤七が同じく土物を献じている(同書同六年五月甲午条・同一〇年二月申寅条)。嘉吉三年(一四四三)一岐島の倭が済州船を剽掠、この倭寇の虜人となった七名は一岐毛道浦(当地であろう)に連行されていたらしく、浦の主は呼子氏・鴨打氏であった(同書世宗二五年一〇月甲午条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報