本田庄太郎(読み)ホンダ ショウタロウ

20世紀日本人名事典 「本田庄太郎」の解説

本田 庄太郎
ホンダ ショウタロウ

大正・昭和期の童画



生年
明治26(1893)年

没年
昭和14(1939)年

出生地
静岡県浜松市

経歴
高等小学校卒業後、太平洋画会研究所で石井柏亭らに洋画を学ぶ。「幼年画報」「幼年世界」の挿絵を経て、「コドモノクニ」「コドモアサヒ」などの絵雑誌で活躍。大正末期から昭和初期にかけて代表的童画家として人気を博した。様式化された丸顔の子どもの顔は、その後の童画家にも影響を与え、「元気な良い子」の一つのパターンを形づくった。代表作品に「こがね丸」「孫悟空」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本田庄太郎」の意味・わかりやすい解説

本田庄太郎
ほんだしょうたろう
(1893―1939)

童画家。静岡県浜松の指物(さしもの)師の家に生まれる。高等小学校を卒業すると、画家を志して上京、太平洋画会に学ぶ。生活のために試みた子供向けの挿絵により、20歳ごろの大正初頭に早くも一家をなした。『赤い鳥創刊によって始まったとされる童画の先駆者。主として『コドモノクニ』などの幼児向き絵雑誌で活躍、幼児・幼女をあどけなく描いて庶民層の子供たちから迎えられた。単行本絵本として「講談社の絵本」の『こがね丸』(1938)、『孫悟空』(1938)がある。

上笙一郎

『『日本の童画1 本田庄太郎他集』(1982・第一法規出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田庄太郎」の解説

本田庄太郎 ほんだ-しょうたろう

1893-1939 大正-昭和時代前期の童画家。
明治26年1月30日生まれ。上京して太平洋画会にまなぶ。大正初期から子供向けの挿絵をかき,「コドモノクニ」などの絵雑誌で活躍した。絵本に「講談社の絵本」シリーズの「こがね丸」「孫悟空」など。昭和14年10月10日死去。47歳。静岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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