児童のために描かれた絵、児童美術のこと。一点制作品である額縁画としてより、複製絵画である挿絵として描かれるほうが多いため、今日では児童出版美術とよばれるようになってきている。
童画は、欧米においては、18世紀ごろからつくられた庶民層の子供への呼び売り一厘(りん)本としてのチャップ・ブックの挿絵にスタートし、19世紀の後半期、近代的な児童文学の誕生と歩調をあわせて成立した。イギリスのアーサー・ラッカム、ウォルター・クレイン、ランドルフ・コールデコット、ケイト・グリーナウェイ、ノルウェーのカイ・ニールセンなどといった画家たちが、児童文学の名作にその麗筆を振るったのである。
欧米においては、絵本、空想物語など子供のための文学につけられた挿絵であっても、単にイラストレーションといわれ、ことさらに「児童」の文字を冠してよばれることはなかった。欧米諸国では、近代の到来とともに子供の人格と権利が確立され、子供のための書物の挿絵にも一流の画家が筆をとったので、成人文学のイラストレーションと児童文学のイラストレーションが同一平面上のものとして成立し発展したのである。
しかし、日本においてはすこしばかり事情が違い、子供のための挿絵は、童画、児童出版美術のように「児童」性を強調しつつ成立したといわなくてはならない。日本では早く江戸中期に赤本(あかほん)とよばれる児童用の木版絵本がつくられており、その挿絵は近藤清春(きよはる)、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)など高名な浮世絵師も描いていたが、近代に入って日本社会に欧米化が進むと、日本画法は歓迎されなくなった。そこでおこったのが西洋画の画法で、明治末期に渡辺与平(よへい)、竹久夢二(たけひさゆめじ)などが出て基礎を築き、大正中後期の児童文化興隆期に清水良雄、初山滋(はつやましげる)、武井武雄、岡本帰一(きいち)、川上四郎、村山知義(ともよし)、本田庄太郎などが童心賛美の思想にたった仕事を展開し、その作品は「童画」とよばれたのである。
第二次世界大戦以後は、児童文学作品の種類も傾向も多様化し、童心賛美思想にたったおとなしやかな童画スタイルだけでは十分でなくなり、描写的、デザイン的、また素朴派画風への接近など、さまざまな様式の挿絵が盛行するようになった。そのため、従来いわれている童画とは別に、現在では、子供のための挿絵全体をよぶには児童出版美術ということばが通用するようになってきている。
[上笙一郎]
『上笙一郎編『日本の童画』全13冊(1981~82・第一法規出版)』▽『松山文雄著『新しい漫画・童画・版画の描き方』(1949・酒井書店)』▽『武井武雄著『本とその周辺』(中公文庫)』▽『上笙一郎著『児童出版美術の散歩道』(1980・理論社)』
…1914年に《子供之友》,21年に《コドモノクニ》,23年に《コドモアサヒ》が出て,岡本帰一,清水良雄,武井武雄,川上四郎,初山滋,村山知義,本田庄太郎たちがそれらによって活躍した。武井武雄は,彼と彼の影響に立つ画家たちの様式性の強い画風を立てて,24年に童画と呼ぶに至り,27年に日本童画家協会を設立,対立的に新ニッポン童画会もできたが,両会とも写実をもたない安易な類型に陥ったにすぎなかった。しかしそのなかでは,欧風に徹してやわらかな情感を生かした岡本帰一(1890‐1930)が子どもの魂をつかんだのが目立つ。…
…童画家,版画家,童話作家。長野県岡谷市に生まれる。…
※「童画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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