本荘城跡
ほんじようじようあと
子吉川の最下流が大きく蛇行する南岸、町を北に見下ろす高台にある。「出羽国新風土記」に「本庄城は尾崎城とも鶴舞城とも呼ばる、東西二町、南北三町強、本丸、二の丸は山、三の丸は平地なり(中略)西は愛宕山の険を帯び、南は山続きにて大沼を負ひ、東北は子吉川を以て外塹となし、要害堅固城地なり」とある。
最上義光の臣楯岡豊前守満茂は由利支配のため赤尾津(現由利郡岩城町亀田)にいたが、慶長一五年(一六一〇)に尾崎山に築城を開始、同一七年完成して移転した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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